悲しみの始まり 2
二月七日。
眠れたような、眠れなかったような目覚めだった。
部屋の中は静かだけど何か小さな音が聞こえている。目蓋を開いてなんとなく窓に目を向ければ、外は雨が降っていた。
雨の時間だっただろうか?
ぼうっとする頭で考えてみても思い当たる節がない。
それくらい、日常から遠ざかっていた。
「………………」
時間を確認してみれば朝の五時。
昨夜は部屋に一人で眠る気にはとてもなれず、母と兄とリビングのソファで眠ったのだけれど、二人の姿はリビングにはなく、寝ていた場所には毛布が綺麗に畳まれて置かれていた。
はゆっくりと身体を起こすと、テーブルに置きっぱなしになっているグラスで水を飲む。
水の冷たさが胃に落ちていく感覚がする。寝不足のためかぼんやりとした頭のまま、小さなため息をひとつつく。
ソファから立ち上がったところで、リビングにが入ってきた。
「あぁ、起きていたんだね」
兄は部屋に戻って着替えを済ませたようで、議員服を着ていた。
彼もまた、疲れた、寝不足だとわかる顔をしている。
「仕事に?」
苦笑したつもりだけど顔の筋肉が思った通りに動いたかは分からずに、兄に問いかける。
も苦笑を浮かべて小さく頷いた。
「母さんもユニウス・セブンの研究所に戻るそうだよ。仕事を整理してこっちに居られるようにするって。……はまだ学校休んだ方がいいね、その様子だと」
「……うん」
少し前までは学校へ行くことは当たり前だったのに、今は行こうという気持ちにはとてもなれない。
は母と兄を見送って、ニュースを眺めながら一日を過ごすことにした。
お昼過ぎに、から一件のメールが届いた。
父の秘書と連絡がとれて、秘書は無事だったこと、そして父は意識不明の重体だが近々プラント本国に移送されるとのことだった。
こういう連絡が来ると父は紙一重のところだけど生きているという実感が少しずつ湧いてくる。
紙一重のところとはいえ、生きている。しかしいつ死んでしまってもおかしくない……。〝重体〟とはそういうことだ。
「………………」
目を閉じて深く呼吸をする。不安や心配なことには変わりないが、何もわからないままニュースを見続けるよりは少しは気持ちが和らいだ。
水を飲んでみると喉通りの良さや水の味を改めて感じ取ることが出来る。
「大西洋連邦による会見です」
それは、後にアラスカ宣言と呼ばれる会見。
地球側は先の月面で起きたテロをプラントが行ったものだと断定し、それを宣戦布告と見るという。
そしてテロによって崩壊した国連に変わって、国際調停機関として地球連合の設立が宣言された。
テロをプラントが起こしたことだとすれば……父は味方に殺されかけていることになる。
は冷静にニュースを見ていた。いつもなら、もっと、大変だと騒ぐはずなのに。
冷静な自分をもっと冷静な自分が見下ろしているような、不思議な感覚があった。
***
二月十日。
お昼過ぎに父、テオ・は意識不明のままプラント本国に帰国し、そのままアプリリウス・ワンの病院に入院した。
身体中に包帯が巻かれている父親の姿は痛々しく、数日前に夕食を共にしたのは遥か昔のように思えてしまう。
包帯が巻かれている父の手を取り、声をかけても返事はない。
父の姿を目の当たりにして、テロのニュースがどこか遠いことのように感じていた自分がいたことを自覚し、
父は直ぐに目がさめるのではないかと漠然とした希望を抱いていたが、それらは丸ごと砕かれてしまった。
「……………」
握り返されることのない手を持ったまま、は涙を流す。
この数日は夢見心地のまま過ごしてきたが、これはまごうことなく現実だ。
呼びかけても返事はなく、掴んだ手が握り返されることもない。
何故、父だったのか。そんな考えてもどうしようもないことを考えてしまう。
議員という仕事には表立って言えない様々な危険が伴う。そういう風に教えられていたし、はそれを理解しているつもりだった。
「……お父様……」
何度呼んでも返事はない。肩に置かれたの手の暖かさが、切ないほどに優しくて──は静かに泣き続けた。
そして、二月十一日。
雨の時間が終わりに差し掛かる時、地球連合からプラントに宣戦布告が行われ──抗えるはずもなく、達も時代の渦に飲み込まれていくことになる。