妊娠・出産に関して、人を選ぶ描写があります。
なんでも許せる方のみお進みください。
大切な君へ
供されたティーセットの紋様をぼんやりと眺める。植物の蔓が美しく描かれているそれの、葉の数を数えようとして、我に返る。現実逃避だ。
緊張や動揺を顔に出さないように気をつけているつもりだが、果たして自分が思うように出来ているのか……わからない。出来ていると思い込むことにした。
「こうして話すのは、病室に来て下さった時以来になるか……」
「そうですね」
顔の傷を消した手術の帰り、彼──の父、テオ・だ──の病室に寄り、挨拶したことを思い出す。近頃は随分と密度の濃い時間を過ごしているからか、酷く昔の出来事のような気がする。
「その後、お身体の方は」
「ありがたいことに、平穏に過ごしている。杖のある生活にもようやく慣れたところだ」
コペルニクスでのテロに巻き込まれて生還したのは目の前の人物、テオ・だけだった。しかし、彼も健康体で無事に帰還した訳ではない。右足を酷く損傷し、一部の機能は永遠に失われたという。コーディネイターの頭脳のお陰で義足や車椅子の生活、とまではいかなかったものの、杖がないと歩行は難しいとのことだ。
「今まで見えなかったものか見えるようになった。今はバリアフリー化の活動に力を入れようと思っているところだ」
「新しくやる事があるのはいいのですけれど、少し根を詰めすぎです。もう少し休みをとってください」
「こればかりはな。性分だ」
隣に座るが唇を少し尖らせて呆れたようにため息をつく。政界から引退した彼は、技術者として充実した日々を送っているようだ。時を同じくして政界から身を引いた己の母親、エザリアもまた、新しい生活を楽しそうに過ごしている。
引き続き議員の道を歩いているダッド・エルスマンからよくクレームがくると言うが、それすらも楽しそうだった。
「元々技術者というのは仕事や研究に没頭しがちな生き物だからな」
その言葉に、いつも何かしらプログラムを組んでいたアスランのことを思い出す。……趣味に関しては自分もあまり人のことを言えない。それはも同じことだったが、今は触れないでおくことにした。
「さて」
紅茶を口に含み、喉を湿らせたところで氏が話を区切る。手にしていたカップをソーサーの上に置き──動揺したからかガチャリと大きな音をたててしまった──居住まいを正す。
「話があると聞いている」
「…………はい」
一つ深呼吸して、正面からテオ・の瞳を見据えた。
「さんと、結婚を前提にお付き合いしています」
「イザークは、戦争になる前から私のことを気にかけてくれていて……。お父様もご存じの通り、地球でもとても助けてくれたの。だから…………。これからも、そうして生きていけたら……。いえ、そうしていきたいと思っています」
自然に触れ合った手をどちらともなく握り合う。こういう、古典的に見えてしまうようなことはあまり好きでは無いので避けたかったが、降れた箇所から確かに相手の気持が伝わってくるから、不思議なものだ。
氏は少し俯いて考え込んだ後…………短く、言葉を発した。
「少し、彼と二人で話したい。。外に出て居なさい」
「え…………?」
この言葉を予想することが出来なかったのか、はあからさまに動揺していた。訝しむように父親を見ている。
「お父様……?」
「お前が連れてきた客人に何かしたりはしない。ただ二人で話すだけだ」
は窺うようにこちらを見てくる。困惑と心配がありありと伝わってきた。
「俺は大丈夫だ」
「……………………分かりました」
そうして、少し視線をさ迷わせた後、不承不承に部屋を出ていった。
二人きりになった室内を、静寂が支配する。
娘が連れてきた、結婚を考えている相手。目に見える形での歓迎はされないだろうと思っていたが、こうして一対一で話す可能性は正直低いと思っていた。
一体、氏は何を話そうとしているのか。
「さて」
「はい」
「………………君が、娘のことを気にかけてくれていたことは知っているし、感謝している。将来を考えていることも、こうして挨拶に来てくれたことも、喜ばしいことだ。けれど、私は、では、と祝福する訳にもいかないのだ」
「それは…………」
やはり、自分が背負っている罪のことだろうか。は「一緒に」と言ってくれているが、自分でもまだすべてに納得しきれている訳では無い。そこを言われると、返す言葉に困ってしまう。
「君の裁判のことは、私は気にしてはいない。勧告のなかったあの状況では、そう判断するしかないだろうと思っている」
「………………では」
そのことではないとすれば、後は一体何があるのだろうか。
「失礼だが、君のことも調べさせてもらった。非常に優秀な成績で、気性が真っすぐ過ぎるところがあると思っていたが…………。近頃は柔軟な考えが出来るようになってきていると聞いている」
「…………ありがとうございます」
膝の上で握りしめている拳が、じんわりと汗ばんでいく。
「娘には、私が死んだ後にも、絶対的な味方となって守ってくれる存在が必要なのだ。……君は何があっても、のことを守れるくらいの気持ちがあるか?」
──守ること。
戦いに出るときに、彼女が居るプラントを守りたいと強く思ったけれど……氏が話しているのは、そういうことではないのだろう。
はあまりにも多くのものを失ってきた。その、心のことだろうか。
「自分は……家族を失う少し前から、彼女を見てきました。に『気にしてやってくれ』と言われたのが影響しているかは分かりませんが……。彼女が困っていたり、悲しんでいたりしているとどうしても放っておけません」
「……………………」
「そうなってしまった時に側に居たいと思っています。自分に何かあった時にも、彼女が自分の隣に居て欲しい、それを望んでいます」
自分の言葉は、果たして彼の求めている回答になったのだろうか。
氏は顎に手を添えて、何か思案しているように見えた。
「……………………その言葉だけでは、正直、足りないのだ」
では……テオ・の求めているものはなんだ? まるで、のことを籠の中にでも閉じ込めておきたいかのように聞こえる。社交界ではの過保護さが注目を集めていたが、父親も少し過保護すぎるような気がする。そういう性分なのだろうか? いや、話した回数は決して多いとは言えないけれど、氏はもう少し、冷静に……実益的に物事を考える人物だと思っていた。
現に、にはそこまで過保護ではなかったはずだ。あいつは相当自由に動いていた。折に触れて、亡くなっているのことにも礼を言われているし、子どもを大切に思っていることは伝わっている。兄妹で差別するような人物では無いだろう。
と。一体、何が違うというのだろうか。 ……性別が違うということくらいしかぱっと頭に浮かばない。しかし、娘というだけで、ここまで相手に求めるものだろうか? 議長の娘だったラクス・クラインよりも余程、固く守られている。
強い違和感が、ふと、その先の可能性を弾き出した。
「………………一体、に何があるというのですか?」
何か、隠されている事実がある。これは直感だった。
「……………………娘は…………」
***
父親に部屋を追い出されたは、一人で扉の前から数歩離れた位置で、立ち尽くしていた。
まさか、こうなるとは思わなかったのだ。諸手を上げて歓迎されると思っていたわけではない。けれど、まさか一人で追い出されて、父とイザークが二人で話をする展開になるとは思っていなかったのだ。
「…………………………」
どうしよう。イザークは大丈夫だと言っていた。父も滅多なことはしないだろう。けれど、心配で仕方がない。
正直、室内の様子を覗きたいくらいだったが、そんなことをするわけにも行かず……。扉の前を右に行ったり、左に行ったりを繰り返している。
「お嬢様、どうなされたのですか? ジュール様をお父上に紹介するのでしょう?」
通りかかった家令を捕まえて、事情を説明する。一人で待つなんてとてもじゃないが耐えられない。
「二人で話したいことがあるから、外で待っていろと」
「さようでございますか。では別室でお茶にされますか?」
いつも冷静な家令の言葉がいっそ憎い位だ。
「とても、喉を通りません。…………何か、小さな椅子を持ってきてもらえますか? ここで待ちたいと思います」
「畏まりました」
自分の事なはずなのに、また、自分は待つことしか出来ないのだろうか。
一体中はどうなっているのか。恨めしげに扉を睨んでしまう。ドア一枚を隔てているだけなのに、あまりにも部屋の中が遠い気がした。
家令が背を向けた時に、扉はガチャリと音を立てて開いて──イザークが一人で出てきた。
「イザーク! 話は終わったの?」
父の話というのは一体何だったのだろうか。
「いや、これからだ。お前に関することだから、お前も一緒に聞いた方がいいだろうと」
「私、もう中に入っていいの?」
「あぁ。後、氏から人払いをするようにと」
「畏まりました」
家令は小さく頷いて、踵を返して去って行った。
一体、あの短い時間でイザークと父は何を話したのだろうか。気になるけれど、父が話をしてくれるというのに、今問いかける訳にはいかない。
どこか納得しきれない気持ちを抱えて、は再び部屋に足を進めた。
***
氏は眉間に指を当てて、少し俯いて深くソファに座り、自分とを待っていた。
二人で彼の向かいにあるソファにもう一度座り、それを確認して、氏が小さく息を吐いてから、顔を上げる。
「今から話すのは──、お前の、身体のことだ」
「私の………………身体?」
思い当たる節が無いのか、は胸に手を当てて瞬きを繰り返す。
「特に何もない、と思いますけれど…………。健康診断の結果も問題はなく」
「そうではない。順を追って話そう。お前が生まれるよりも前のことだ。私と妻は、婚姻統制という制度が生まれる直前に結婚した」
「はい。そのことはお母様から聞きました」
「………………との結婚を進めてきたのは、シーゲルとパトリックだ」
ここでその二人の名前が出てくるとは思いもせず、目を見開いてしまう。
「当時は…………。コーディネイター同士の夫婦が、不妊治療を行うことが多く……出生率が低いのではないか、と言われ始めた頃だった。そうして…………。シーゲルとパトリックが、遺伝子の相性がいい私たちを選定した。……………………私たちは、婚姻統制という制度のサンプルだったのだ」
「!」
「は…………。私と遺伝子の相性がよかったのはもちろんのことだが……。血筋を見れば、多産の家系だった。パトリックはそこに目を付けたようだ」
「…………」
「コーディネイターの未来のため。そう言われたのがきっかけとなったのは確かだ。けれど、私と妻は、お互いの意志で結婚する事を決めた」
「……………………」
「……………………」
と視線を交わし、話の続きを待つ。
口を挟むことは出来なかった。
「婚姻統制という制度のサンプルとなることを、私たちは了承した。しかし、その時に……私達はシーゲルとパトリックと密約を交わしたのだ。『生まれてくる子どもたちが、どれだけ子を成す能力に秀でていても、婚姻統制のルールからは除外すること』を」
「……………………!」
「と…………。お前は、他の二世代目よりも──数値にすれば数パーセントだが、大きな数字だ──子どもを成しやすい身体なのだ」
──ようやく、全ての話が繋がったように思う。
と氏がここまで彼女に対して過保護になる──ならざるを得ないのも頷ける。は──女性だから。
「特に、お前は……容姿もそうだが、に……体質が似ているのだ。三代目を宿しやすく、健康体で、多産家系の女性。一部の人間からしたら喉から手が出るほどに欲しい人間だ」
「……………………」
は信じられないという表情で、自分の身体を見下ろしている。
「人の口に戸は建てられない。どこかから、お前達の体質のことが漏れたのだろう。お前たちと縁組を希望する者は多かった。シーゲルとパトリックには密約を盾にし、私たちは縁談を全て断ってきた。私にも、最高評議会議員としての立場と……押し通せる力があった。しかし…………」
「シーゲル・クラインと、パトリック・ザラが死んだ今……」
「そうだ。それに、私も身体のことがあって職を辞した。もう、かつてのようには……。時が経つほどに、影響力を失って、無理を通すことは出来なくなる」
「………………お父様」
「お前の…………結婚話を、なるべくなら、私の力があるうちに纏めてしまいたい。けれど、それは決して……。お前の望まない形ではなく……。お前が望んだ相手と、結ばれて欲しい。それが…………私に残された、最後の使命だ」
「………………兄さんは、このことを……」
「………………知っていた。は遺伝子を専攻していたから。何かの実験で自分の遺伝子をサンプルとして使い、気が付いたのだろうな…………。私に直接尋ねてきた」
懐かしむように、テオ・は一瞬、遠くを見た。きっと在りし日のの姿が思い浮かんだのだろう。
話は全て終わったようで、氏は大きく息を吐いた。
第三世代の出生率を思えば、という人間の重要性というものは嫌でも理解できる。
そんな彼女が、今までは婚姻統制の外側に居たという事実。を守るために、と氏は、目に見えない戦いを続けていたのだろう。
は立ち上がって、氏の隣に座り、そうして──そのまま抱き着いた。
「ずっと──────ずっと、守ってくれていたんですね」
「…………親として、当たり前のことだ」
「それでも、お礼が言いたいです。お父様、ありがとう。私、本当に、何も知らなかったから…………。兄さんにも、お母様にも、きちんと……お礼を、言いたかった……」
親子の抱擁は、数分続き……ふと、思ったことが口から飛び出した。
「婚約と、結婚のお許しをいただけますか」
「…………イザーク」
「話を聞いた限り、早めに手を打っておいた方がよいでしょう」
「エザリアにも話をしなければならないだろう」
「それは……その、恥ずかしながら、誰か相手を連れてくることを急かされているくらいなので、恐らく大丈夫だと思います」
「…………私は、結婚は終戦を待ちたいと思っていたけれど」
「いや、氏の仰る通り、早い方がいい」
「…………君は、エザリアにこの事を話すかね?」
「いいえ。この話については……知っている人間は少ない方がいいでしょう。これは信じてもらうしかありませんが……。もう、彼女は自分にとって、他人ではありません。大切な、かけがえのない人間です。守って見せるという大それたことを言えるほどの力は、今の自分にはありません。けれど……協力させては、もらえませんか」
勝手に話を進めてしまった気がして、一度言葉を止める。
氏は…………静かに微笑んで、「のことを、よろしく頼む」と頭を下げた──。
***
と、彼女が連れてきた相手──イザーク・ジュールが退室して、テオ・は一人、杖をつきながら、ゆっくりと時間をかけて、自室へと戻ってきた。
ソファ──退院してから扉により近くなるように位置を変えたものだ──に座り込み、ローテーブルの上に置かれている家族写真に手を伸ばす。が成人した際にお祝いとして撮影した写真である。
娘からイザーク・ジュールを紹介したいので、時間が欲しいと言われてから、毎日、懐かしく眺めていたものだ。
「………………一体、に何があるというのですか?」
「……………………娘は…………」
真っすぐな青年だ。青い瞳がこちらを射貫くようだった。
自分は、を信頼できる人物に引き渡す為に、命を長らえてきたのだと、それを成し遂げるまで死ねないと、そう思ってきた。
の身体については、本当にトップシークレットなのだ。イザーク・ジュールの視線を前に、様々な思考を巡らせた。この時はまだ、彼に話をしようと決めていた訳ではなかった。けれど。
「待ってください。は、本人は知っているのですか?」
「娘は何も知らない。これからも、知らずに暮らしていって欲しいと思っている」
「…………失礼ですが、それはおかしいのではないでしょうか。彼女自身のことならば、本人が知る必要があると思います。幼い子どもならまだしも、もう成人していますし。それに、何も知らなければ……彼女は、身を守ることが出来ない。知らずに自分から危険に飛び込んで行ってしまうかもしれない。やはり、彼女自身が知っている必要があると思います。彼女が同席しないのであれば……失礼ですが、自分にも告げるべきではないのではないでしょうか」
『にはまだ、知らせなくてもいいと思います。父さんも僕も居ますし。知らないままでいられるのなら、それに越したことは無いと思います』
は学生の時に自分の体のことに気が付いて、直談判しに来た。そうして、一通りの話をした後に、そう言ったのだ。
難しく、そして繊細な問題だ。知らなくていいことだと、遠ざけていたが……先延ばしにしていたとも言える。しかし、あのイザーク・ジュールという青年は……一石を投じてきたのだ。衝撃はすさまじく──まるで見えない何かで殴られたような心地がした。
自分が固く閉ざしていた門を開けて、新しい風が入ってきた。
妻と結婚を決めた時にも、子どもが生まれた時にも、似たような気持ちになったものだ。人は、誰かと出会い、変わるのだ。
も随分としっかりしてきている。卒業後の進路も自分で決めてきて、自分の力で道を切り開いていこうとしている。
「…………。が、将来を考えていると言って、相手を連れてきた。私たちもそういう歳になったんだな……」
あの子達の身体のことが、ずっと気がかりだった。自分が守ってやらねばと思っていたが……。少し思い込み過ぎていたのかもしれない。
もう、自分のことは自分で決められる年齢か。成人しているから当たり前と言えばそうなのだが…………。どうしても、いつまでも、〝子ども〟と見てしまうのは仕方がない。けれど、その意識も変えていかなければならないのだろう。
「…………早いものだな……」
窓の外、遠く、庭園の東屋でお茶を楽しんでいる二人が見える。
「婚約と、結婚のお許しをいただけますか」
「もう、彼女は自分にとって、他人ではありません。大切な、かけがえのない人間です。守って見せるという大それたことを言えるほどの力は、今の自分にはありません。けれど……協力させては、もらえませんか」
大切に思いあっている二人の、前途を祝して。フライングかもしれないけれど、今日はとっておきの酒を開けようと、テオ・は心に決めた。