春に咲く花を、君と
彼女は愛されて育った人間だ。そして──傷を抱えている人間だ。
数ある小説やドラマ、映画の話なんかは、ほとんどカップルが成立したところで話が終わる。では……その先は?
先日婚約したばかりの婚約者相手に、イザークは悩んでいた。
やはり、女性には花だろう。考えてみても、花が嫌いな人間の方が少ないと思う。しかし、花と一口に言っても色々ある。にどの花を送ろうか。
最初はバラにしようと思っていたのだが、通りがかった女性たちが『バラの花束だけは無い』と言っていたので即却下となった。
だからと言って次の花がすぐに決まる訳ではなく……そもそもイザークはそんなに花について詳しい訳ではない。こういうことは専門の者に聞くべきだ。店員に聞いてみても、『想いがこもっていればどの花をプレゼントされても嬉しいものだ』というアドバイスなのかいまいち分からない言葉をもらい──イザークはそういうことが聞きたいんじゃないんだと強く思ったが口には出さなかった──結局ピンクのチューリップを選択した。
花弁が根元から先にかけてグラデーションになっていて美しい。春に咲く花というのもいい。これは……中々いい選択をしたのではないだろうか。イザークは満足気にエレカの助手席に花束を置いた。
近頃通いなれた邸のチャイムを鳴らし、現れたに花束を渡す。は笑って受け取ってくれた。ここまでは満点だった。
暖かな陽の光を受けて、庭でお茶をすることになった。そうだ、ここから何かが崩れたのだ。
整った庭は眺めているだけでも楽しいものだ。
そして、お茶が入ったのと同時に庭先に咲く花に、イザークは気が付いてしまった。
「!」
そこには──紫のチューリップが咲いていたのである。
「…………すまない」
「え? どうしたの?」
イザークは真っ先に謝罪した。疑問に思うに問われて、そっと紫のチューリップに視線を移す。一呼吸遅れてもチューリップを見やる。
「あぁ、今朝咲いたの。昔兄さんとニコルと三人で植えたのよ。懐かしいな……。でも、どうして?」
「庭に咲いている花をもらっても嬉しくないだろう」
「さっきの花束のこと? そんなこと無いわ」
は気を使ったのだろう、ずっとそう言っていたが、その日一日、イザークの脳裏には『失敗した』という言葉が浮かんでいた。
まさか花束を送るのに相手の庭の花を考慮しなければいけないとは……。
それに、兄と幼馴染と植えた、思い出のある花。自分が渡した花束で勝てる訳がなかったのだ。は、本人は不思議な程に無自覚だが……ブラコンだ。が自他共に認めるシスコンとして有名だったため、その妹自身の感情は、の生前は表立って見られることはなかった。しかし、個人的な付き合いを始めて、折に触れてやニコルの話をされる。正直なところ、少し辟易していた。
兄妹仲がいいのはいい。兄妹の居ない自分には理解することはできないが、少し羨ましいという感情もある。けれど……愛情が強いのは、良い面も悪い面もある。相手が亡くなっていることも関係しているのだろうが………。しかもイザークは、とも、ニコルとも面識がある。だから、としても二人の話をしやすいのだろう。こんなつまらない感情を理由に、亡くなった兄と幼馴染の話をされるのが嫌だとは、人としてあんまりな言葉だ。
結局は、目の前の自分のことを見てくれていない気がして、面白くないという、子供染みた感情である。それを表に出すことは、イザークのプライドが許さない。
とりあえず、次に花を選ぶときには、チューリップ以外にしよう。イザークはそう心に刻んだ。
次の訪問の時。
イザークは手土産として、最近女性の間で流行っているというお菓子を選んだ(情報元はディアッカだ)。エンゼルケーキという名前のそれは、白っぽい天使の羽のような見た目が可愛く、ふんわりとした柔らかい食感が人気だという。
前回の花束は失敗だったが、今回は正解、いや大正解の選択だろう。
イザークは足取り軽く、邸のチャイムを鳴らした。
しかし、応接間で手土産が供された時、イザークはの表情が一瞬曇ったのを見逃さなかった。
「嫌いだったか?」
「え?」
「一瞬顔が曇った」
「あ……。えっと、その……。昔、ね。子どもの頃に、ニコルと二人で、お酒を使ったケーキだって知らずに食べて、寝込んだことがあるの」
「それは……すまなかった」
「今はもう大丈夫よ。ただ、昔のことを思い出しただけで……」
不可抗力とは言え、よい思い出のない品を手土産にしてしまった。イザークはチャイムを押す前の、得意満面だった自分の顔をはたきたくなった。
「えぇっと…………そうだわ、チェスでもしましょうか」
は視線を泳がせながら、そそくさとチェスの準備を始めている。誤魔化しているのが丸わかりだが、イザークは何も言わず、素直にその話に乗ることにした。
二人が正式に婚約して関係が一歩進んでから、まだそんなに時間が経過した訳では無く……正直、お互いにどのように一緒の時間を過ごすのか、手探りなのだ。そうした時、どちらともなくチェスに誘うことが恒例となっていた。はカーペンタリアで初めて差した時は初心者の動かし方だったが、回数を重ねてきて、少しずつぎこちなさが取れてきている。そういう成長を見られることに、イザークはどこか感慨深いものを感じていた。
手加減するようなことは望まれていないーー分かりやすくが不機嫌になるーーのでイザークはいつも通り駒を動かすが……の指し方がどこかいつもと異なっている。まるで教本通りの、お手本のような駒運びだ。
「…………本でも読んだか?」
「え、えぇ…………。わかるの?」
「当たり前だろう」
「当たり前なのか」と言いたそうな表情を浮かべる。最近分かったことだが、彼女は結構顔に出るタイプである。ザフトに居た時は気を張っていたのだろう、引き締まった表情をしていることが多かったが。
「…………兄さんの部屋に、チェスセットと初心者教本があったから、貰うことにしたの」
「そうか。…………チェック」
「……………………」
とは言え、年季がある分、イザークの方が強いのは必然で……その日も、あまり時間はかからず、イザークはのキングを追い詰めたのだった。
その後も何度か対局を繰り返し、次回は買い物に出かけることを決めて。訪問自体は問題なく終わったが、結局、イザークはその日も『失敗した』と思いながら帰宅するのだった。
幼馴染であるニコルと、成人後も共に行動するくらいに仲が良かったのは充分に知っている。イザークと過ごした時間よりも、ニコルと過ごした時間の方が長いのは承知している。しかし、それを上書くことができないのは──無性に悔しいものがあった。
***
約束の日、街を訪れてウィンドウショッピングにしゃれこむ。お互いに本が好きなので、なんとなく本屋に入り、思い思いにうろつき気になった本を購入する。の会計を待っているとき、ふと張られていたポスターが目についた。
『西暦の名作を再演! フィガロの結婚』
作曲者のモーツァルトは、音楽に詳しくないイザークでも名前を知っている大作曲家だ。何となくポスターを眺めていたところに、が戻ってきた。
「お待たせ……。どうしたの?」
「あぁ、いや……。ポスターを見ていただけだ」
「フィガロの結婚?」
大事そうに本を抱えたも、イザークの視線の先にあるポスターを見た。
「昔ニコルが弾いたのよ。懐かしいなぁ……」
……またニコルか。顔のどこかに青筋が入ったような気がする。が、表には決して出さない。
「行ってみるか?」
「え?」
「公演だ。ニコルのものとは勿論違うが………」
は少し逡巡したが、やがて頷いた。
「そうね。行ってみましょう」
そしてチケットを手配し(もちろん一番いい席だ)、当日を迎えた訳だが……。
事前に仕入れた情報で喜劇だということを知ったので、肩肘張らずに見られるのもいい。音楽なんかの芸術分野にはあまり詳しくないイザークでも充分に楽しめた。しかし、公演後、の様子を伺えばなんとも言えない表情をしていた。
俯いて考え込んでいる彼女を前に、『よかったな』も『面白かったな』も言えず……やはりイザークは、何が失敗したのかと気を揉むことになった。
***
やはり、芸術に疎いもの同士でオペラなんて見に行ったのが間違いだったのか……。いや、最高評議会議員の子どもともなれば、付き合いで色んな場所に赴くことになる。舞台なんかもその一つで、後援会の招待だの、懇意にしている人物の子どもが出演するからなど、演劇やコンサート等はよく呼ばれる場所の一つだ。その度に差し障りのないコメントを残すのに苦労した思い出が強く……あぁ、脱線している。
何だか最近、やることなすことすべてが裏目に出ているような気がする。次はどうしようかと思い悩んでいたイザークのところに、から通信が入る。応対すれば、「行きたい場所があるから付き合って欲しい」とのことで、可もなく不可もなく、待ち合わせ場所を決めて、通信を終えたのだった。
***
そうして訪れた約束の日。ノウェンベルのステーションで待ち合わせて、のいう通りに歩みを進めーー辿り着いた場所は……一軒の花屋だった。
「いらっしゃいませ。あら、様!」
「ご無沙汰しております」
「ご婚約おめでとうございます」
「……ありがとうございます」
店員の言葉に、は少し照れて俯いた。ラクス・クラインの婚約時程ではないが、イザークとの婚約も、一部メディアで報道されている。お互いの出身地であるノウェンベルとマティウスでは、他の市よりも熱心に報道されていたので、店員も知っていたのだろう。
「お屋敷用のお花ですか? それとも……」
「種と球根を買いたくて。あの、『お楽しみコーナー』ってまだありますか?」
「はい。ございますよ。こちらです」
店員との間で話が進み、案内された先には、白い封筒がいくつも収まっている小さな箱があった。ラベルが張られていないそれを、イザークは不思議そうに眺める。これでは、何の種か、球根なのか、分からないではないか。
が箱の前にしゃがみこんだので、それに倣ってイザークも隣にしゃがむ。自然と、が話すのを待つ。
「ここ、兄さんが見つけてきたの」
「………………そうなのか」
「どの花の種や球根なのか分からないから、咲いてからのお楽しみ。『こういうのも、面白いだろう?』って」
は封筒を一つ手にして、こちらに顔を向けた。
「あなたも一つ選んで」
「あ、あぁ……」
促されて封筒に目を向ける。正直、中身が分からないのでどれにしたらいいのか選ぶこともできず……イザークは前から三番目のものを何となしに選んで立ち上がった。それほど厚みが無いので、この封筒の中には恐らく何かの種が入っているのだろう。
会計を済ませてエレカを拾い、そのまま邸へ。玄関を通り過ぎて庭に向かうの背を、イザークは黙って追いかけた。
「おかえりなさいませ、お嬢様」
「ご苦労様です。準備は?」
「はい! 水も肥料もこちらに!」
花の手入れをしていた男に、が声をかける。初めて顔を見る使用人だ。庭師に当たるのだろうか。溌溂とした青年が示した場所は──あの、紫のチューリップが咲いている場所の隣の区画だ。傍らに水も肥料も用意されている。土は彼の手で耕されていたのだろう、柔らかく小さな山を築いていた。
この、買ってきた花の種を植えるのだろう。は自分の封筒を開けて、中から小さな球根を取り出した。イザークも封筒を開けて、己の手に種を広げた。花の種には全く詳しくないので、当然のように、見たことの無いものだった。
──土に触れたのは何年振りだっただろうか。子供の時、学校の授業で花を育てた時以来かもしれない。アカデミーでアスランとナイフ戦を行った時は何度も硬い地面の感触を味わったが……。整えられている土はしっとりと柔らかく、土と植物の匂いを届けてくれた。
庭師の青年にはとイザークが手にしている物の品種が分かったらしく、土の深さや、水の量、肥料のやり方を教わりながら、それぞれ花の種と球根を植えた。
「このチューリップはね」
「……………………」
隣の区画で咲いている紫のチューリップを見ながら、が言葉を零す。
「子供の頃に三人で植えたの。芽が出たら、蕾をつけたら、必ず報告して。花が咲いたら、いつもニコルと兄さんと……ここでお茶をしていたの」
「…………そうか」
「………………今植えた花も……芽が出て、花が咲いたら、あなたに伝えるわ。そうしたら、一緒にお茶にしましょう」
「………………あぁ」
「…………こちらの。……この、チューリップが咲いても。……これからは、あなたに報告してもいい?」
少し気まずそうに尋ねてきたの言葉に、イザークは頭を殴られたような衝撃を受けた。一体、何を小さなことに囚われていたのだろうか。
ニコルも、も、死んでしまった彼らには──未来がない。これからを共に過ごすことは出来ない。これから先、どんなに嬉しいことや悲しいことがあっても、もう彼らと共有することは出来ないのだ。
今まで、彼らとが過ごしてきた十五年間。二人の時間はそこで停止してしまった。けれど、イザークには、これから先の時間がある。そして、それは──彼らとの十五年間を超えるかもしれないのだ。
生きているとは、そういうことなのだから。
そんな当たり前のことに気づかずに、今までのやニコルと共に過ごしてきた時間の長さに……嫉妬して。彼女に、もう一度彼らの死を噛みしめるようなことを、言わせてしまった。イザークは己の浅はかさ、不甲斐なさに腹が立ってしょうがない。どうして、こうも浅慮なのだろうか。……思いやり深いやニコルが相手なら、こうはならなかっただろうに。……瘡蓋が出来ているかも分からない、新しい傷を、きっとイザークは無自覚に抉ってしまっただろう。
「…………すまない」
「…………謝らないで。私、兄さんやニコルの話題が、どうしても多くなってしまうけれど……。……今までのことも、これからのことも……あなたと話していけることが、私は嬉しいから」
にこう返されてしまっては、もうイザークに立つ瀬はない。いや、ここで頷くだけのことはしたくない。もう一歩、先に進んでいきたい。だから。
「まだ、花は咲いていないが……。お前がよければ聞かせてもらえないか。ニコルやとの……思い出を」
「…………えぇ。あなたの思い出も聞かせて」
は一瞬驚いた顔をした後、柔らかく微笑んだ。
それから、土を落としてお茶の席に着き、と色んなことを話した。と一緒にした仕事のこと。アカデミーでニコルと組んだ授業のこと。
は最後に、また花壇に目をやって、笑って言った。
「今日植えた花、どんな花が咲くか…………楽しみね」
「………………あぁ」
ゆっくりでも、少しずつでも。きっと、こうして時間を過ごして、二人の関係を深めていくのだろう。イザークも花壇に視線を移して、頷いた。