特別な日に - ノベル版 -

 授業を詰められるだけ詰め込んで必要な単位を取得し、が学校を卒業したのは五月の半ばのことだった。
 学生という平穏な時間が終わったことに感慨深くなる暇もなく、卒業翌日から議員秘書としての仕事が始まり──卒業に必要な単位取得と同時に業務上必要になる知識を頭に叩き込んだので、何度かパンクしそうになった──ようやく二週間が過ぎたところだ。
 ──ユニウス条約の締結から三か月。
 季節は、六月を迎えていた。



***



 始業から一時間程は、毎日バタバタとしてしまう。
 その日一日のスケジュールを確認して、深夜の間に連絡が入った案件の対応──今日は中々に件数が多かったので、は徹夜で作業をしている人が心配になってしまった──、そして飛び込みで入る急ぎの作業。

 もちろん、随時入ってくる電話に応対しながら、作業をこなしていく。

 …………混乱期とはよく言ったものだと、ため息を吐く暇もない日々を過ごしながら、は思う。

 父、テオ・が議員だった時はこんなにドタバタとしている印象はなかったのだが、人が変われば仕事の進め方も変わるからだろうか。
 それとも、父やエドガーが過度な作業量にならないように調整していたのか。
 メッセージの返信を打ちながら、そんな風に頭の端で取り留めのないことを考えていた時。
 フラフラとした足取りでやってきた、若い職員に声をかけられる。
 確か、隣のチームに所属している人だ。
 …………こういう時、いい知らせだった試しがない。
 トラブルか、それとも急ぎの対応が必要な案件か。
 あまり気は進まないながらも、何があったのかと声をかける。
 果たして、予想通りというべきなのか……それは助けを求めるものだった。
 午前中がデッドラインの業務が終わらなくて、ヘルプに入って欲しいと言うことで、残りのボリュームを聞いて必要そうな人数を計算する。
 結局、のチームだけではとても足りなさそうだったので、フロアの全員を集めてヘルプに入り、何とか対応し終えたところで昼休みのチャイムが鳴った。

 何とか間に合ってほっとしたけれど。
 …………結局、午前中の間、自身の仕事は殆ど進まなかった。



***



 くたくたな状態で食堂にたどり着く。
 何も考えずにパスタとサラダを注文し、同僚と向かい合って席に着く。
 は糖分補給にデザートも何か注文すればよかったな、と少し後悔した。
 デスクの引き出しにしまってあるチョコレートバーを後で食べることに決めて、小さくため息をついて食事を始めた。

「…………仕事、中々落ち着きませんね……」
 ユニウス条約が締結されて、停戦が成ったはずなのに、行政も世論も、全く落ち着く気配がない。
 忙しいことは覚悟の上で職務に勤しんでいるが、一息着く時間くらいは欲しい。
 ザフトに居て命をかけて戦っていた頃とはまた違った、プレッシャーがある日々。
 何かがすり減るように神経を使う毎日に、まだ慣れたとは言い辛い。
 アカデミーで鍛えられていなかったら、きっと、もっと激しく消耗していたことだろう。

「元々ノウェンベルは他所の市より忙しいしね」
 『スタミナが必要だ』と言って選んだフライドチキンにかぶりついていた同僚が話す。
「そうなんですか?」
 聞いたことのない話に、は同僚の顔を見る。
 同僚は気持ちのいい食べっぷりで満足気にフライドチキンを食べ進めている。
「知らなかった? 〝多目的実用生産工学〟だからこれも管轄だろう、って、色んな仕事に巻き込まれやすいのよ。そうして担当する案件がどんどん増えていくの。
それに、ノウェンベル単独でやる業務って中々無くて、ほとんど他市と合同で動くものだから、そういう意味でも手間だしね」
「………………そうだったんですか」
「マイウスも〝応用機械〟だとか、ロボットだからとかで巻き込まれやすいよ。だから、多分うちとマイウスが仕事量ではツートップだと思う」
 話題にのぼるマイウス市は、最早身内と言っても過言ではない、ユーリ・アマルフィが代表を務めていた市であり……にとっては身近で、他の市とは違う存在であって。

 …………縁が深い二つの市が、多忙な仕事場としてツートップ。

はそういうの、知ってるんだと思ってた」
 同僚は意外そうにきょとんとしていた。
「………父も兄も、家では仕事の話をしない人間でしたから」
「そっかぁ」
 ぺろりとフライドチキンを食べ終えた同僚は、しっかりとデザートのバニラアイスまで食べ終えて、「そろそろデスクに戻ろうか」とに声をかける。

 昼食を摂って空腹が満たされたはずなのに、何か、釈然としない気持ちを抱えたまま、同僚のあとを追って席を立つ。

「フェブラリウスやマティウスみたいに、専門分野が固まってるところだともう少し楽なんだろうけどね」

 その二つの市から連想される二人──イザークとディアッカ──が、少し憎く感じられただった。



***



 デスクに戻りチョコレートバーで糖分を補給して、コーヒーで頭をスッキリとさせたところで、午後の仕事が始まる。
 業務再開を待っていたかのように鳴り出した電話は、隣の職員が取ってくれたので、は午前中に打ちかけていた返信の続きに取り掛かる。
 連絡事項に漏れがないことを確認して送信ボタンを押した時、隣の電話も同時に終わったようだった。

さん。農業メーカーの意見交換会、八月八日の十時からに決まったから」
「分かりました」

 複数の農業メーカーが一堂に会して行われる八月のミーティングは、直近の予定で一番大きな仕事である。
 一年に一度、「意見交換会」という題目として開催されるが、実際は企業側と行政側の補助金の予算に関する話し合いがメインであり──中々に壮絶な戦いが繰り広げられるらしい。
 初めて参加するにとって、どこか落ち着かない気持ちにさせられる仕事の一つだった。

 とりあえず、八月八日のスケジュールを、カレンダーに書き込むことにする。
 仕事用のスケジュール帳を取り出して、八月のカレンダーを見る。
 一日から日付を辿り、二週目の八日に到着したところで、突然、アカデミーでの出来事が脳裏を過ぎった。

『もうすぐイザークの誕生日なんだってよ。八月八日』
『誕生日と聞いたらやることは一つだろ! パーティするんだよ』

 楽しそうに話すラスティと、頭に疑問符を浮かべた自分たち。
 アカデミーという特殊な状況にも関わらず、イザークの誕生日を祝う準備をした事を唐突に思い出す。

 そうだ、二か月後、八月八日は……イザークの誕生日だ。

 彼と気持ちを通じ合わせて、婚約してから、初めて迎える誕生日。
 ……一体、どうやってお祝いしようか。

 一度気が付いてしまうと、どうしても頭からそのことを振り払えなくて──結局、は雑念を振り払うように何度も頭を振って、一日の仕事に励むことになるのだった。



***



 日々、忙殺されればあっという間に時間は過ぎる。
 週末を迎えて、は自室で一人、頭を抱えた。
 イザークの誕生日、一体どういう風にお祝いしようか。
 今日はイザークが仕事のため、会う約束はしていなくて、一日フリーだ。
 まだ二か月あるから、準備を始めるには早い気もするけれど……先の読めない仕事のことを考えて、早めに手を付けて置いた方が得策だろう。

 誕生日。誕生日と言えば、プレゼントである。
 アカデミーの時は本を渡したから、本以外の物を渡したい。
 けれど……中々、これだ、という考えは浮かばない。

 ……………………どうしようか。





 大規模なパーティではないけれど、お祝いの飾り付けが何もないのは少しばかり寂しい気がする。
 事前に準備出来るのは自邸だけなので、自動的に会場は邸の一室と決まった。

   は客間の一室を少しだけ飾りつけることにした。
 シルバーと青のバルーンを購入して、いつも活けてある花も少し豪華なものにすることにして。

 後は……以前アカデミーでお祝いしたときに、ラスティが「これだけは譲れない。絶対にやる!」と言って、みんなで鳴らしたクラッカー。
 …………一人で鳴らすのは寂しすぎるので、使用人に手伝ってもらうことにした。

 イザークに──喜んで欲しい。
 用意したプレゼントと、少しばかりの飾り付け。
 それと、も少しだけ手伝うことにしたお祝いの料理。

 フラワーアレンジメントや飾り付けの構想、料理の練習。
 もちろん、日々の仕事も忙しく──日々はあっという間に過ぎていく。

 八月八日当日は残念ながら二人の予定が合わず、パーティは一日前の七日に決行することが決まった。




***



 八月六日の夜。は不安に襲われていた。
 …………本当に、イザークに喜んでもらえるだろうか。

 プレゼントの品は問題ないだろうか?
 飾り付けはやりすぎではないだろうか?
 選んだ花は華美過ぎないだろうか?
 けれど、本番は明日だ。今からすべてをやり直すことは出来ない。

 ………………以前、アカデミーで誕生日を祝った時はこんな風に不安になったりはしなかったのに。
 あの時はラスティが主催だったし、プレゼントの品もニコルと相談することが出来た。
 ………………今回は、手伝ってくれた使用人がいるけれど、彼らは友達のように相談に乗ってくれる訳ではない。
 ただ、の意見を肯定して、手伝ってくれるだけだ。
 それに、イザークとの関係も違う。

 …………婚約者。後には結婚して夫婦となり、新しく家庭を築く人。
 …………一緒に生きていく人。

「……………………」

 まだ、二人の関係は始まったばかりなのだから。
 相手がどういったことに喜び、どういったことに怒るのか、手探りなのは仕方がない。

 パーティの当日を、寝坊して慌てて迎える訳にはいかない。
 明日はいよいよ、本番だ。
 は冴えわたる頭のままベッドに入り──久しぶりに、眠りにつくのにとても苦労することになった。




***



 …………結局、あまり熟睡することは出来なかった。
 時計のアラームを止めて、真っ先に鏡で顔色を確認する。
 少し目元が気になったけれど、これくらいなら化粧をすれば誤魔化せるだろう。
 イザークがやってくるのはお昼前。
 はテキパキと身支度を始めた。

 浮足立っているのが自分でもわかる。
 朝食を終えて、部屋の飾り付けの最終確認。

 フラワーアレンジメントを確認してから、キッチンへ。
 ソワソワと落ち着かない中、どうにかこうにか料理を終える。

 次はいよいよ、ケーキ作りである。
 いつもなら何とも思わない、動作の一つ一つがぎこちないのが自分でもわかる。
「あっ」
 卵を割ったときに手が滑って──何年ぶりか分からないほど久しぶりに、ボウルに殻が入ってしまったのだ。
「……………………」
 大丈夫。これくらいならば、全然ミスのうちには入らない。
 スプーンで殻を取り除いて、次の工程へ進む。

 粉をふるって、ボウルで混ぜて。型に入れたら、後は焼くだけ。
 何度も練習したし、確認して分量も間違えていないのに、ケーキが無事に膨らむか、はオーブンの前で随分と気を揉んだ。
「お嬢様、そろそろクリームの準備を」
「…………えぇ、そうね……」

 焼きあがったケーキは無事に膨らんでいた。
 横に切り分けて間にフルーツとクリームを挟み、更に外側にクリームを塗る。
 ここまでは問題ない。失敗しても、誤魔化すことが出来るし、何よりクリームで覆ってしまえるからだ。

 しかし………………デコレーション。
 リカバリーは出来るけれど、クリームが溶けてしまわないように手早く行わなくてはならない。スピード勝負だ。

「…………………………」

 手の震えが止まらない。
 一瞬、代わりにやってもらうという考えが頭に浮かんだけれど──頭を振ってその考えを追い出す。
 ──誕生日のお祝いなのだ。自分でやらなければ、意味がない。
 深呼吸を一つしてから、はデコレーションを始めた。

 練習した時よりも、気持ちばかりゆっくり、丁寧に。
 焦りは禁物。練習した通りに。手をコントロールして、クリームを絞り出し、少しずつデコレーションを進めていく。

「……………………よし!」

 一番よく出来た時ほどではないけれど……及第点と言ったところだろうか。
 こうして、無事にバースデーケーキが完成した。

 ここまでくれば、後はイザークが家に来るのを待つだけである。
 身だしなみを整えて、部屋の最終確認も終えて。
 約束した時間の五分前に、イザークの訪問を告げるチャイムが鳴った。

「ではお嬢様。こちらのお部屋にご案内致します」
「えぇ。三回ノックして、声をかけてから扉を開けてね」

 クラッカーの準備も万端だ。
 もう、は緊張しているのかしていないのかも分からなかったけれど……。
 出来ることを精一杯やった。きっと、イザークも喜んでくれると信じよう。

 部屋を出ていく家令を見送って、控えていた使用人に目くばせして、ドアの前に移動する。
 ………………一瞬は、永遠のように長かった。

 ──そうして。
 三回のノック。
 「失礼します。ジュール様をご案内いたしました」
 家令の声。
 ガチャリと開く扉。
 一呼吸おいて、今だ!

「ハッピーバースデー!」
「うわっ!?」
 ……いつかと同じように、ドアを前にしてぽかんと立ちすくむイザークの姿が、どこか懐かしい。

「………………随分とはしゃいでるな」
 イザークは三秒ほど間を開けてから、何かに関心したかのように、苦笑した。




***



 イザークを案内した家令と、一緒にクラッカーを鳴らしてくれた使用人が下がり、二人になった部屋の中。
 イザークは飾り付けされた部屋をしげしげと眺めてから、ソファに座った。

「アカデミーでも似たようなことがあったな」
「あの時はラスティが企画したのよ」
「だろうな。人の誕生日だというのに、あいつが一番楽しそうだった」
 あの時から一年。
 ……もう一年経ったというよりも、まだ一年しか経っていないという気持ちの方が大きい。

「まずは食事にしましょう」
「だから昼食は食べて来るなと指定があったんだな」
「えぇ。今日は私がホストだから、あなたは何もしないでね」
「…………分かった」




***



 料理を小皿に取り分けて、イザークに渡す。
 も少しだけ料理を手伝ったと触れれば、イザークの表情はまた少しだけ明るくなった。

 もう少しゆっくりと流れて欲しいと思う時間ほど、いつもよりも早く過ぎてしまう。
 食事を終えて、の心臓はより一層うるさく騒ぎ出した。

「…………ケーキもあるから。……えぇっと、食べる……わよね?」
「? あぁ」

 ──断られなくてよかった。
 いや、イザークの性格なら、自分のために用意されたものを断りはしないだろうと予測していたけれど。

 最早イザークに聞こえてもおかしくないほどに、胸がドキドキとしてうるさい。
 ケーキを切り分けることなんて何回もしているのに、カタカタと手が震えてしまった。
 イザークも少し不思議そうにしている。
 カットしたケーキをサーバーでお皿に移す。
 倒してしまわないか心配だったけれど、どうにか成功した。
 けれど、もう、自分がどんな表情をしているのかには分からなかった。

「…………どうぞ」
「あぁ」

 自分の分を取り分けようと思い、ケーキサーバーに手を戻した。
 けれど──視線はイザークの手元から動かせない。
 イザークは慣れた様子でフォークで一口切り分けて、そうして……口に運んだ。

 食べた!

「………………何故そんなに見てくる?」
 あまりにも凝視しすぎた。気付かれて当然である。
 は顔が赤くなるのが自分でもわかるほどに動揺した。
「えぇっと…………その……味はどう?」
「普通に美味い」
 一口、飲みこんでから話したイザークの言葉に、は心の底からほっとして……ケーキサーバーを置いて脱力した。

「よかった…………!」
「…………まさか。お前、これ……」
「このケーキ、私が作ったの」
「そういうことは早く言え!」
 音をたてて小皿をテーブルに置いて、イザークが叫ぶ。
「自分から言うのって恩着せがましいじゃない」
「それも一理ある! けどな……」

 「気構えが変わる」とイザークが言葉を続けるけれど、の耳には入っても、いまいち頭には刻まれない。
 それくらい、緊張していたから。
 イザークはまだ文句を言い足り無さそうだったけれど、「美味しいならいいじゃない」とが言えば、それ以上何かを言うことは無かった。

「よかった。今日一番緊張したわ」
「………………ありがとう」
 ……アカデミーでお祝いしたときはぎこちなかった感謝の言葉も、以前よりもずっとスムーズに出てきたように聞こえる。

「人に出すのは初めてだけど、上手くいってよかった……」
「ニコル達には作ってないのか?」
「クッキーとか小さなお菓子は渡したことはあるけれど、ケーキはないわね」
「……………………」

 肩の荷が降りてほっとした。お茶を一口飲んでから、自分の分も取り分けようとが手を伸ばしたその時。


「な…………に」
 カップに落としていた視線を上げれば、イザークの顔が間近にあった。

「わっ」
 驚いた声をあげたのは、本当に無意識だった。
 …………小説やドラマで何度も見たことのある雰囲気だ。
 自分の身に起きるとなると、どこか不思議な感じがする。
 どう待ち構えたらよいのかも分からなくて──はぎゅっと目を閉じた。頬が熱い。

 このまま、動かずに待っていればいいのだろうか。
 イザークが帰る時にケーキを包もうと思ったけれど、いくつ包もうか。
 の思考はちっともまとまらない。
 イザークがふっと笑った。
 思わずそのことを抗議しようとした──その時。

 ふわりと、柔らかいものが額に当たった。

「……………………」
 どうして、こんなに納得がいかないのか、自身も分からない。

 けれど──無性に悔しい。
 勢いと言ってしまえば、そうだろう。
 けれど、はどうしても──やり返したかったのだ。

 両手でしっかりイザークの頬を包んで、引き寄せる。
「っ!?」
 突然のことに驚いたイザークの顔を見て、は満足した。
 そうして、引き寄せた勢いのまま──唇の真横に、唇を当てた。
 顔を離して達成感に浸ろうとしたところで、今度はの身体が引っ張られる。
 首の後ろに手を当てられて引き寄せられたことに気が付いたのは、キスしていると認識した後だった。
 混乱する間もなく唇は離れて、はぽかんとイザークの顔を見ていた。

 …………婚約者。後には結婚して夫婦となり、新しく家庭を築く人。
 …………一緒に生きていく人。

 そして…………この人は、私の恋人。

「…………何か、違くない?」
 いったい何が違うのか自分でも分からなかったけれど、はそう零さずにはいられなかった。

「…………お前が煽ったんだろう」
「………………」
 そうだっただろうか。まだ平静になりきれていないのか、の思考は上手くまとまらない。
 結局、イザークがのケーキを取り分けていることに気が付いたのは、の目の前に小皿が供されてからだった。

「あ」
「なんだ」
「…………何もしないでって言ったのに」
「お前がぼーっとしているからだろう」
 これには反論する言葉がなかった。

 はやっぱり、どこか負けたような気持ちのままケーキに手を付ける。
 …………普通に美味しい。
イザークはまるで何もなかったかのように再びケーキを食べている。
「…………………………」
 今の自分は、少し前の自分とは違うのだ。
 もう、どうやって相手を引き寄せればいいのか、分かっている。

「イザーク」
「なんだ」
 フォークを持つ手が、お皿の上に来た時を狙って──先ほどされたのと同じように、首に手をかけて引き寄せる。
 そうして、今度はから唇を重ねた。
 イザークがフォークを落とした音がした。

「…………お前な!」
「イザーク、お誕生日おめでとう」
「………………あぁ、ありがとう」

 食事を終えて、ケーキも食べ終えて。いよいよ、プレゼントを渡す時間になった。
「えぇっと……。これ、プレゼントなんだけれど」
「ありがとう。開けてもいいか」
「えぇ、もちろん」
 …………イザークはどのような反応を返すだろうか。

「ハンカチか」
 イザークの目が右隅に刺繍されている馬を捉えたのが分かる。
 ……はプレゼントを渡した時のことを全く考えていなかった。
 思っていた以上に難しいことだ。自分で「刺繍した」と申告しなければ、市販のものだと勘違いされてしまう。

「……………………私が刺繍したの」
 思っていたよりもずっと小さな声になってしまった。

「お前が作ったのか!?」
「そうよ。久しぶりだから少し荒くなってしまったかもしれないけれど……」

 予想出来たことだけれど、が刺繍したと聞いて、イザークはよりモチーフの馬を凝視して──よく見るために顔を近づけている。
 はすっかり身の置き場が無くなってしまった。

「もう、粗が目立ちそうだからあんまり見ないで」
「貰ったのだからもう俺のものだろう」

 ……そう言われると、から返す言葉は無くなってしまう。

「ありがとう」

 イザークは満足するまで馬のモチーフを眺め──にはやたらと長く感じられたが、時計を見れば五分も経っていなかった──改めてそう言うのだった。

 今度何かをプレゼントするときは、もっと入念に準備をしよう。
 そうして、もっと、もっと練習して──もっとイザークを喜ばせよう。
 はそう心に決めた。

「これは……香水か?」
 イザークは一瞬頭に疑問符を浮かべたが、瓶のデザインとパッケージをしっかりと眺めてからそう言った。
 何より、ラッピングの包装紙やリボンにも薄っすらと匂いが移っている。それも感じ取ったのだろう。
「あなたに似合うと思って。その……ルームフレグランスとかにも出来るし。もし……好みじゃなかったら、ごめんなさい」
「いや、使ったことは無いが……。嫌いな香りじゃない」
 その一言での緊張がとけた。
「つけると気分が変わって、気分転換にもなるわよ」
「そういうものか? まぁ、頭がすっきりしそうな香りではあるが」
「試してみて」
「自分では買わないものだな。こういうのも、プレゼントの醍醐味だな」
 そう言ってイザークが小さく笑みをこぼしたので、も笑顔を返した。

「ブレスレットか?」
「バングルよ。絶対似合うと思って。手首にぴったりしているものなら、邪魔にもならないと思って」
「確かに、その方がいいな」
 同意が得られてほっとする。きっとイザークは、身に着けても邪魔にならないものを好むだろうと考えたのだ。

「ねぇ、つけてみて。絶対に似合うから」

 何よりも、が着けたところを見たいというのが本音だった。
 イザークは一瞬思案した後、にバングルを手渡して、手まで差し出してきた。

「?」
「そんなに言うならお前がつけろ」
「えっ!?」

 まさかそんなことを言われると思わず、は頭が真っ白になった。

 確かに、絶対に似合うと力を込めて言ったけれど。
 アクセサリーを相手に着けるというのは……真っ先に頭に浮かぶのは、結婚式の指輪の交換だ。
 今回は腕だけれど……。それでも、どこか特別な──本当に親しい人間にしか許されない行為だろう。

イザークの手を取って、バングルをはめる。それだけなのに、随分と時間が長く感じられた。

「どうだ?」
「…………やっぱり、似合っているわ。着け心地はどう?」
「…………悪くないな」

 返された言葉があまりにもイザークらしいので、は思わず吹き出してしまった。
 ──でも、きっと、彼にとって最大級の賛辞なのだろう。

「腕時計か」
「そう。ミリタリーウォッチだから、仕事中にも着けられるから」
「……随分とデザインが良くなったんだな」
「私たちが配属されたときのって、少し格好が悪かったものね」
「そういうものかと思って使っていたが……。大切に使う」

「…………こういう言い方は、少し……気になるかもしれないけれど……」
「別に構わん」

「…………壊れてもいいの。新しいものをプレゼントするから。……ただ、貴方が無事に帰ってきてくれれば」

 無事を祈りながら待つということが、どれほどにもどかしく──大変なことなのか。
 ヤキン・ドゥーエの戦いでもかなり骨が折れる時間だった。

 休戦が成ったとは言え、ザフトの出番が無くなる訳ではないのだ。
 イザークは時計の表面をなぞるように確かめてから。

「…………死ねない理由が増えたな」
 ……そう、ぽつりと話した。

「…………きっと、これからもっと増えていくわよ」
 ともに生きていくということは、そういうことなのだろう。

 それでも、傍にいると決めたのだから…………全てを分かち合えなくても、決して離れないでいよう。
 イザークの帰りを待っていよう。

「随分しっかりしていると思ったら、ワインか」

『ワインのプレゼントには、〝祝福〟や〝労い〟と言った意味が込められています。素敵な日になるといいですね』

 ワインをプレゼントすることの意味を説明しようかと思ったけれど、何だか気恥ずかしくなってしまって、は黙っていることにした。

「せっかくだし、飲んでみるか」
「いいの?」
「あぁ」
 そう言ったら早く、イザークはチャイムを鳴らして使用人にオープナーとグラスを頼み──ジュール邸では無いのに、すっかり慣れたものだ──あっという間にグラスにワインが注がれていた。

 はあまりお酒を飲んだことがない。
 パーティで乾杯の時に口を付ける程度だった。

「私、あまりお酒を飲んだことが無くて」
「パーティで飲んでなかったか?」
「乾杯の時だけね。外ではあまり飲まないようにって兄さんに言われていたし……。今思えば、私の身体のことがあるから、そう言っていたのかもしれないわね」
「…………なるほどな。今は家なんだし、興味があるなら飲んでみたらどうだ」

 ……それはそれで、醜態を晒しはしないかと不安に思うだったが、イザークはそういうことは思わないのだろう。
 結局、イザークにプレゼントしたものだということで、はグラス一杯分のワインを飲んで、そこで止めておくことにした。
 イザークは「今度飲みやすいものを持ってくる」と言って、どこか上機嫌だった。
 少し誕生日の過ごし方としては不思議な雰囲気になったような気もするけれど、イザークが楽しそうなので、よしとしよう。

「…………随分と大きくないか?」
「まぁ、大き目ではあるわね」
「…………何が入っている?」
「開ければわかるわ」

 訝し気な表情を全く隠さずに、イザークは包装紙を開いていく。
 にはそれがとても面白かった。
 そうして。

「これは…………」
「〝ユカタ〟という民族衣装よ」
「ディアッカが着ていたやつか?」
「あの舞台で着ていたものとは少し違うんですって。これは夕方から夜にかけて着るものだそうよ」

「これは……俺たちだけでも着られるものなのか?」
「ディアッカが舞台で着ていたものよりは、簡単に覚えられるらしいけれど、専門の方にお願いすることも出来るそうよ。いくつか紹介してもらったの」
「…………抜け目ないな」
「…………実はね、私も自分用のユカタを買ったの。今度一緒に着てみましょう」
「………………あぁ」

 「しかし、俺たちの着ている服とは随分と形が異なるんだな」と言いながら、イザークはしげしげとユカタを眺めている。
 その瞳が、どこかきらきらとしているのを、は決して見逃さなかった。
 あれこれと気にすることはあっても、異文化に触れるということは、自分たちにとって楽しいことなのである。
 はユカタを贈ってよかった、と胸を撫でおろした。


 ……どうか、あなたに幸運が訪れますように。
 …………これから先も、ずっと、誕生日を一緒に祝えますように。