後始末 1
クーデターの準備も大変だったが、それが終われば少しは楽になると思っていたけれど──甘かった。
体調の悪化した父の残務は代理の議員の人に回してもらっていて、も引き続きその手伝いに当たっている。
父親の手伝い、という大義名分は今はない。なんとも中途半端な立ち位置だ。
しかし議長が死亡した混乱期ではそんなことも言っていられず。役に立てるなら手伝え、という無言のプレッシャーを感じて日々の仕事を進めていた。
その日は、目下のところ一番忙しい人物、アイリーン・カナーバ氏との約束をどうにか取り付けて──面会だけの時間は取れないということで、夕食を共にすることになった──にとっての大一番の日だった。
エレカの後部座席で鞄の中から取り出した小さなコンパクトを開き、鏡の中の自分を見る。身だしなみは問題なし。エドガーと準備したやりとりを頭の中でさらって……こちらも問題なし。
「お嬢様、到着しました」
約束のお店に到着してエレカが止まる。まだカナーバ氏は着いていないようだ。……大丈夫。一つ深呼吸をしてから、はエレカを降りた。
「ありがとうございます」
「いえ、迎えは事前の通りエドガー氏で?」
「えぇ、よろしくお願いします」
カツ、と履き慣れたヒールの音が響いた。
父に紹介されたレストランは個室のみでの営業で、所謂こういうやりとりの際によく利用されるらしい。議員御用達の密談場所。まさか自分がこの歳でこういう立場になるとは思わなかったけれど……相手がそれを考慮してくれる訳ではない。気合を入れて臨まなければ。
個室の前の通路にあるソファに座って、はそんなことを考えていた。
窓の外を見れば、夕闇にライトで照らされた庭の花が薄らと見える。白い花の名前を思い出そうとしたところで、エレカが止まる音がした。立ち上がってスカートの裾を払う。手を前で組んで、小さく笑顔。余裕を持っていると見えるように。
扉が開いて議員服のアイリーン・カナーバが現れた。
「本日はお時間をいただきまして、ありがとうございます」
「いや、構わない。は今や時の人だからな。断った方が不都合なことが多い」
彼女は秘書に二言三言告げてから個室へと足を進めた。音もなく扉が閉じて、個室に二人きり。秘書もレストランのスタッフもいない。お互いに含みを持たせた笑顔を浮かべながらテーブルに着いた。
「……アスラン・ザラについて、だったな」
「はい」
意外にも口火を切ったのはカナーバの方だった。
「噂ではオーブに亡命するだろうとのことだが?」
「それは、現在のプラントに彼の居場所がないからです」
「……その受け入れ場所を作れと?」
「そのお願いに参りました」
「ないな。あまりにもリスクが大きすぎる」
食前酒のワインを口に含んでから、カナーバが鼻で笑う。予測通りの返答だった。
「パトリック・ザラの息子ということがどうしても大きいと思いますが、このまま彼を地球に行かせるのもリスクが大きいのでは?」
「ほう?」
慎重に言葉を発しながら反応をうかがう。カナーバの目尻がピクリと動いたのをは見逃さない。何一つとして見逃してはならないのだ。一人の人生の分岐点なのだから。
「まずアスラン・ザラという人間ですが、軍人としてだけではなく非常に優秀な存在です。そのことはアカデミーやスクールの成績を見ていただければわかると思います。けれど、彼は……激したら感情的に行動するところがある。そんな人物を、首輪もつけずに地球に行かせるのはリスクが大きすぎるのでは無いでしょうか?」
カナーバはワイングラスをテーブルに置いて、顎に手を添えて思案する。
「ふむ。確かに一理あるな。だが亡命前に密約でも結べばいいだけの話では?」
「手の届かない場所でその密約はどれだけの効力を持ちますか? 地球でザラ派の人間が彼に接触したら……。それに彼が地球に行ったとして…………彼はジェネシスを破壊した人です。地球から見れば、…………英雄になる可能性があります」
カナーバの目尻がまたピクリと動いた。
「彼を持ち上げる可能性があるのはザラ派残党だけではないということです。停戦が成立するとは言え、終戦となる訳ではありません。優秀な人間を受け容れるという形でも手元に置いておいた方が、暴発するリスクを減らせるのではないか、という提案です」
アスランがあれほど優秀な人間でなければ、居ても問題ないと受け入れられただろう。けれど彼は秀でた人間なのだ。亡命するということは……見方を変えれば、そんな人材を手放すことになる。
「………………」
「それに……オーブの獅子の後継者となるであろう、カガリ・ユラ・アスハとも懇意にしているといいます。オーブとのパイプ役としての活用方法もあるのではないか、と。これは私の個人的な意見ですが」
「…………なるほどな」
運ばれてきた前菜にゆっくりと手を付けるが、いまいち味がわからない。緊張している。けれど相手にそれを気取らせるわけには行かない。カナーバの反応は決して悪くはない。このまま慎重に進めて、何としても可能性を掴むのだ。
「プラントから正式に声明があれば、彼がこちらに戻る可能性は充分に有ります。ラクス・クラインの出奔前にジャスティスを隠して父親に面会を求めた事実から明らかです。……彼には情に甘いところがある」
「これは随分な言い方だな。彼と君は同期で、同じ隊に所属していた仲間だろうに」
カナーバは渇いた笑いを浮かべた。今どんなに冷徹に見えたとしても、それは必要なことだから。そう確信しているから、そう言われてもが戸惑うことは無い。
「今は政治家としてのアイリーン・カナーバ氏に、彼が政治的に役に立つ人間だということを説明する場ですから」
「…………なるほどな。確かに、些か早計であったことは認めざるを得ないだろう」
前菜が下げられてメインディッシュが供される。また味がわからない可能性が高そうだ。
「オーブに亡命して出来ることなど、たかが知れているでしょう。それならば、〝ザラ〟の名前を利用して、彼にしか出来ないであろうことをさせた方がよいのでは、と」
「一考の余地はある」
ここまでは及第点。あと一つ。もう少し先の言葉が欲しい。
「ありがとうございます。何でしたら、彼との交渉には私が行っても構いませんが」
「いや、こちらの人間を出そう」
「ありがとうございます!」
やった! はテーブルの下で拳を握りしめた。この言葉は重要だ。これで、彼女からアスランへの交渉が確実に行われる。達成感からか、解放感からか急にどっと汗をかいた。ワインではなく水に手を伸ばす。口に含んだそれは、今までで一番と言っても過言ではないほどに美味しかった。
そこから料理の味も楽しむことが出来て、無事に会食は終わりを迎えようとしていた。
「お時間をいただいてありがとうございました」
食後のコーヒーを飲みながら改めてお礼を述べる。カナーバは背もたれに身体を預けながら、のことを頭のてっぺんから爪先まで見ていた。
「…………私は君を誤解していたようだな」
発した言葉に驚かされるのは、きっとお互い様だろう。
「…………いえ、私は父の名前を借りないとここまで来れない、無力な民間人です」
「冗談もうまいとはな」
「さて、何の話でしょうか……」
お互い口元にゆったりと笑顔を受けべながらコーヒーを飲み干し、はカナーバ氏の帰宅を見送った。
***
「どうでした?」
帰り道、迎えのエレカの中。運転席に座るエドガーの表情はいつもよりも固い。
「一考の余地はある、と。『私が交渉に行きましょうか』と言ったら、ご指摘の通りにあちらの人間を出すと返してきました」
「よかったですね」
「協力していただいたおかげです。私一人だったらここまでの結果は出なかったと思います」
そう、今回の話し合いは彼の協力なしでは決してこの結果を出すことは出来なかった。
カナーバ氏相手に交渉のカードになるポイントを、二人で徹底的に洗い出したのだ。
「いやいや、さんのお力も大きいですよ」
「本当にありがとうございます」
「いや、個人的に気になっていたんです。愛国心に駆られて戦った少年が親の行いのせいで国を追われるというのは避けたいものです。戻れるという選択肢があるのとないのとでは大きな違いですから」
「本当に……その通りですね」
『アスラン・ザラが帰国できるように交渉したい』と相談したに、エドガーはとても親身になってくれた。二人で長い時間をかけて準備して臨んだ交渉。結果は現時点で出せる最も良い反応を得られたといってもいいだろう。無事に終わったことにほっとしたのか、今更震えが止まらない。
「クライン派を通じて情報を流すのは、事前に決めた通りに少し時間を置いてからでよいでしょうか?」
「そうですね。まずはカナーバ氏の結果を待ってからがいいでしょう」
「お嬢さんのご準備が無駄に終わらなくて何よりですよ」
「本当に、ありがとうございました」
エレカは静かに街中を走る。まだすべてが終わったわけではないけれど、小休止を挟むことは許されるだろう。街の明かりを見ながら、はそっと小さく息を吐いた。
***
アプリリウスの別邸に帰宅して、ほっと一息。エドガーとは話したし、父には車の中でメッセージを送ったから………。報告するのはあと一人。繋がるかはわからないけれど、とりあえずイザークへと通信を入れてみた。
「どうだった!?」
開口一番話題に触れてくるのが彼らしい。イヤリングを外しながら笑みが溢れるのを止められない。
一から十まで説明した方がいいな。通信機をローテーブルに置いて、ソファに腰を落ち着ける。そうして、は今日のカナーバ氏とのやりとりを話し始めた。
「……という感じ。好感触よ」
「……あいつは担がれるのは拒否するだろうけどな」
「まぁね。でもカナーバ氏はそこまでアスランの性格を知らないし」
「……そうだな」
思うことはあるだろうけど、飲み込んでくれたのだろう。以前の彼なら納得しただろうか。隊長というポジションを経て、また少し彼も変わっている。
「ディアッカの帰国は今週よね?」
「あぁ。ひとまず軍本部で拘束されることになるだろうな」
「……仕方ないけれど……」
帰隊しなかった彼は脱走兵として拘束される。それは仕方がない。わかっているけれど……全てを黙って飲み込める訳ではないのだ。
「私は軍港に行くつもりだけど」
「俺も行く。拘束はジュール隊に命じられたからな」
「そうなの……」
他の知らない人よりは安心出来る。イザークにとっては心の整理をつけるのは難しい仕事だろうが……。
「……無理はしないでね。話を聞くくらいしか出来ないけれど……」
「いや、大丈夫だ。お前こそ無理はするなよ」
「……ありがとう」
「あぁ」
停戦が成ったことで、肉体的には忙しいけれど、精神的には大分落ち着いたのだ。
イザークと、ディアッカも……アスランも生きている。今は戦いがないから、命の心配をしなくていい。それだけで飛び跳ねられそうなくらいに心が軽い。
イザークとの通信を切って、未読メッセージを確認する。特に新しいものはなかった。このまま今日は休むことにしよう。
……いよいよ、最高評議会の解散も秒読みだ。
***
その週末、エターナルと共にプラントを出たクライン派のメンバーとディアッカが無事に帰国した。
彼らは帰国の手続きが完了すると同時に、港に待機していたジュール隊によって拘束され──軍本部にて裁判を待つことになる。
は軍港でエルスマン夫人と並んで、その光景を見ていた。あの日、死んだと思っていたディアッカは本当に生きていた。泣き崩れるエルスマン夫人を支えながら、も少しだけ泣いた。彼が生きていて嬉しい。けれど、脱走とは──重い罪なのだ。通常ならば、名ばかりの裁判を通して銃殺刑になるのが当たり前。……とは言え、今は政治もザフトも混乱している。それがどこまで影響するか……。ディアッカが生きていて嬉しい。生きていて欲しい。せっかく停戦がまとまっているのに、銃殺刑になるなんてあんまりだ。けれど規律を忘れることは決して許されないことで……。何一つ答えの見えない中で、もがきながら手探りで進むしかない。この道が正しいのかもわからない。……きっと、正しいのか間違っているのか、生きている間に答えが出ることはないだろう。……戦争と同じく、後世になるまで──答えはわからないのだろう。
休日とは言えない休みを挟んで週が明けてから、最高評議会は正式に解散した。
エザリア・ジュールを始めとする急進派の議員は、スピットブレイクの目標変更に関わった容疑で逮捕された。
ユーリ・アマルフィは重要参考人として連行。上位議会、下位議会も併せて解散され、議員は総選挙へとなだれ込む。
……上下の議員のザラ派の人間は、これを期に引退する数名を除いて、その殆どが再選を目指して選挙活動を始めた──。
の父、テオ・も最高評議会議員の職務を離れ、体調のこともありこのまま引退することになった。
同日、アイリーン・カナーバの使者がアスラン・ザラとの交渉のためにプラントを発ったとの知らせがもたらされた。
コネを駆使してディアッカへの面会を取り付けた日。二日に一度は開催されるイザークとの定期連絡で、彼は驚きの言葉を告げる。
「立候補する!?」
「あぁ。今なら母上の地盤を引き継げる」
事の大きさに荒唐無稽だと言いそうになったけれど、考えてみればおかしい事ではない。
「俺は元々下位議員だったんだぞ」
「そうね……。いや、確かに…絶好の機会とも言えるわね……」
「そうだろう。お前はどうするんだ?」
「えっ……」
考えたことがないと言えば嘘になる。父の手伝いとは言え、政治活動をしてきた身だ。けれど自分自身が議員になるには、あまりにも周囲がゴタゴタし過ぎている気がする。
「私は……」
「……考えてみてもいいと思うがな。……俺としても、お前がいれば動きやすい」
イザークから最大の賛辞を受け取って、通信を切る。
選挙に出馬。議員になる。父が引退を決めた今、それを引き継ぐ人は確かに必要だ。恐らく次の議長はアイリーン・カナーバになるだろうけれど、そこで終わる訳ではない。その先も見据えていかなければならない。
政治生命を失った人も多く、今回の選挙では世代交代も進むだろう。
……私は何が出来て、何がしたいのか。
もっと落ち着いて考えたいけれど、そう悠長にしている時間もなさそうだ。いつだってそう。時間は決して待ってはくれない。
出来ることと言えば、後悔しないように選ぶことだけ。
私が父の仕事を手伝ったなんて聞いたら、兄もニコルもびっくりするだろうな……。そんなことを考えて、は一人で笑った。
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