でたらめな人たち
高速道路ではつなぎ目の部分を通る時に、必ず車が揺れる。出発したときはとても不安だったけれど、薬のおかげか──東京へ向かう旅路の中、私は思っていたよりも普通に元気だった。途中で寄ったサービスエリアでも──灰原の肩を借りながらだけれど──自分の足で歩けたし、昼食を選ぶ余裕もあった。けれど……県境を越えて東京都に入ったところから、下り坂を転がるように痛みが増していった。東京は都会だから、道路は整備されていて問題ないだろうなんて思ったけれど……そうではなかったらしい。
「ぎゃっ!」
「大丈夫!?」
「うっ!」
「すみません、すみません……!」
「い゛っ!」
「……………………」
私が定期的にあげる悲鳴に、ずっと声を掛けてくれる灰原、視線だけだけれど心配してくれている七海、そして、ずっと謝ってくれている補助監督さん。
東京の路面状況は、思っていた以上によくなかった。……知識が一つ増えたけれど、多分、使い道は無いと思う。
想定していた以上の揺れが原因なのかは分からないけれど、出発前に投与された痛み止めは完全に切れていて──途中から痛みに耐えるために灰原の腕を掴ませてもらっている──七海が「念のために」と言って買ってきてくれた鎮痛剤を追加で飲んで……呻き声をあげながら高専へ向かっている。
「あとどれくらい!?」
「あと少しだよ!」
窓の外に見える緑が増えてきた。でも、灰原はさっきもあと少しだと言っていた気がする。
「七海! 薬!」
「さっき飲んだばかりですよ。それに、もう着くまで待った方がいいと思います」
そう言われても、痛いものは痛い。今まで経験したことの無い痛みをどうにかやわらげたくて、私はもう我を忘れていた。
「高専の敷地に入りました!」
「! 頑張って!」
「もう頑張ってるよ! 痛い!」
高専の敷地内に入ったから本当にあと少し、というところで、今までが序の口だと言うかのように最悪な時間を迎えた。道路の舗装状況が今までで一番酷かったのだ。
「~~~~~~~~~!」
もう、自分がどんな言葉を発しているのかも分からない中、私はようやく高専に帰着したのだ。
「家入さん!」
灰原が窓を開けて叫ぶのを眺めながら、私は「次に怪我したときは、帰りの間ずっと眠っている薬を処方してもらう」と心に決めて、憎たらしい位に晴れ渡った空を睨んだ。
「家入さん! こっちです!」
灰原の声が聞こえる。…………あれ、もしかして、私一瞬意識飛んでた?
「ほんとに怪我してる。4級の任務だろ? 眉間の皺スゴ。ウケるな」
「悟」
「それじゃ、治しちゃうね」
「どれくらいかかりますか?」
「えー、直ぐだよ」
「ここでいいんですか!?」
「平気平気。早い方がいいでしょ」
二年生は相変わらず賑やかだ。私はもう声を出す気力も無くて、拳を握り締めて黙り込んでいた。呼吸するだけで精いっぱいだ。
誰かの手が近づいてきた気配がして、息を吐くのと同時に──ころりと痛みは無くなった。
「………………え?」
「どう?」
「え…………」
目を開いてみれば、私の顔を覗き込む先輩たちと、同期と補助監督さんの顔、合計十二の瞳がこちらを見ていた。どこか不思議に感じられた。
「………………」
右胸の横を触って確かめる。肉がえぐれていた箇所が、元通りになっている。身体は軽く、握っていた掌の痛みすら消えている。むくりと身体を起こしてみれば、灰原と七海が背中に手を添えてくれる。
「……………………痛くない」
「出血は戻らないから、貧血になるかもしれないけど」
「…………もう大丈夫なんですか?」
「うん。治したからね」
「?」
灰原の腕に掴まりながら、恐る恐る地面に足を着ける。…………痛みが無い。問題なく、歩ける。
……五秒前まで痛みに唸っていたのに。
「え…………治ってる…………怖……」
「先ず硝子に礼を言えよな」
飴をかみ砕きながら呆れる五条さんを前に、私たちは言葉もなく立ち尽くしていた。
***
「よかった~~~!」
「い、家入さん、ありがとうございます」
「ん」
瞳が潤んでいる灰原が地面に座り込む。道中、とてもお世話になったし、迷惑もかけてしまった。みんなにお礼を言ってから、まじまじと手を握って開いてを繰り返してしまう。
「治ってる…………?」
「引きつったりとかしないんですか?」
「そんなに不安ならちゃんと診察しようか?」
「……念のために見てもらった方がいいんじゃないですか?」
七海に促されて、医務室に移動して、服を脱ぐ。包帯も解いてガーゼを外して、戦々恐々と傷口を見てみたけれど……怪我なんてなかったかのように、その箇所には何もなかった。
「うん、問題ないね。貧血が酷かったら輸血するから、声かけて。一応今日はシャワーだけにした方がいいかも」
「はい。家入さん…………ありがとうございます。あの、さっき、失礼なことを言って……すみませんでした」
「…………何言われたっけ?」
私が服を着るのを待たずに、家入さんは煙草を吸いに医務室を出て行った。
制服に袖を通して、私も医務室を出る。廊下で灰原と七海が待っていた。
「!」
「本当に治ってたんですか?」
「うん。うっすら跡があったけど、注意して見ないとわからないくらい」
「……凄いね!」
「…………本当に、凄いですね。あれが、反転術式……」
「…………一瞬で治ったよ」
自分の身をもって体験したのに、今でも全てを信じ切れてはいない。呼吸するよりも、恐らく瞬きよりも短い刹那の出来事だったのだろう。
私の中で、硝子さんへの尊敬メーターが限界点を突破した。
***
翌日、痛みに引きつることも無く、思い通りに動かせる身体に感動して感謝して──改めて硝子さんにもお礼を言った──廊下を歩いている時、天気がいいなぁと空を見たら、五条さんが空に浮かんでいて……思わず三度も目をこすって確認した。
「え…………」
やっぱり怪我の影響とかあるのだろうか。目は特に何も問題なかったはずだけれど。念のためにもう一回見直してみても……やっぱり、五条さんは空に浮いていた。
「…………どうしたんですか?」
空を見てぽかんと口を開けて立ち止まっていた私はさぞ間抜けだったことだろう。通りがかった七海が声をかけてくれた。七海も灰原も、怪我をしたばかりの私にとても優しく接してくれて、逆に申し訳ない位だった。
「ねぇ、あれ。五条さんが浮いているように見えるんだけど、七海にはどう見える?」
「は? 浮くって………………………………浮いてますね」
七海と二人で考え込んでもまるで答えなんて出ないから、校庭に行ってみることにした。
***
廊下からは見えなかったけれど、五条さんが浮いている足元には夏油さんと硝子さん、それに灰原も揃っていた。
なんだかんだ言いながら、二年生っていつも一緒にいるよなぁ。
灰原はそれはそれはキラキラした目で五条さんを見上げていた。……何が言いたいのかは大体わかる。
「僕も空飛んでみたいです!」
あぁ、やっぱり。
夏油さんも硝子さんも驚いている様子はないし、五条さんもいつも通りだ。ぎょっとして空を見上げているのは私たち三人だけ。察するに、珍しいことではないのだろう。当代最強の呪術師となると、空も飛べるらしい。
「五条さんの術式って空も飛べるんですね……」
「たちも来たのか。確かに悟の術式はおかしいけど、別に空を飛ぶくらいなら珍しいことでもない。の式神だって飛べるだろう?」
「「えっ!?」」
夏油さんの言葉に驚いたのは私と灰原の二人。
クロに乗って移動したことは沢山ある。もちろん、飛んだこともある。跳ねた言った方がより相応しいけれど。でも、空を飛んだことは無い。
というか、やっぱり空を飛ぶのは珍しいことじゃないのか……。
夏油さんまで何を言い出したのだろうと思ったけれど、急降下してきた五条さんがぴたりと拳一つ分浮いた位置で停止して、「空飛べない式神なんてそっちの方が珍しいな」なんて言った。
………………入学してから色んなことがあって、呪術という世界にも慣れてきたと思っていたけれど、まだまだ、私たちの思考は一般人寄りだったみたいだ。
「クロも飛べるの!?」
ワクワクとした表情の灰原に急かされるように、クロを出して、数秒見つめあったあと。ちょっと高いところまで飛んでみて、と念じれば、クロはぴょんと跳ねた。けれど、着地した足元は地面にぴったりとくっついている。
想像していたのと違ったのだろう、灰原が少し肩を落とした。
私は首を右に倒して、左の肩を二度叩く。そうすれば、クロはまたぴょんと跳ねて、私の肩に着地する。初めて呼んだころ、クロは幼獣だったけれど、私の成長に合わせてすっかり大きくなり、今では立派な成獣だ。けれど、式神だからだろうか。重みは全くない。肩に触れる足の感触はしっかりとあるけれど。
…………でも、やっぱり、足は私の肩に触れているんだよなぁ。
……この子は飛べないのだろうか? 動かないで、とクロに念を押しつつ、二歩ほど後ろに下がってみれば────黒い虎が、宙に浮いていた。
「あ」
唐突に、幼い頃の記憶がよみがえる。そうだ。まだ小さかった頃、クロはしょっちゅう空中を跳ねていた。電話やインターホンの子機を持ってきてもらったこともある。あの時、私の手元に受話器を置いてくれたクロは……浮いていたじゃないか。
一度思い出してしまえば、どうして今まで忘れていたのか不思議なくらいに色々なことを思い出せた。
……クロは、どうして空を飛ばなくなったんだろうか。中学に入ったころには、もうさっきまでのように、地面から離れることは無かったから……小学生の間だろうか。小学生の頃、私は周囲の女子に溶け込もうと必死で──〝普通〟であるように、色々と押さえこんでいたころかもしれない。
もしかしたら、私の考え方や思い込みで、クロに色んなことを強いていたのだろうか。
「なんだよ、やっぱり飛べるのかよ。飛べない式神とか珍しいもん見れるかと思ったのに」
気が付いたら着地していた五条さんがつまらなさそうに言って、いつものように夏油さんが窘めて、二年生は寮の方に歩いて行った。
………………空を飛ぶときと歩く時は、どうやって決めているんだろう。
今度聞いてみようかと思ったのも束の間。
「! 乗っていい!? 空飛んでみたい!」
移動の練習。任務の時にもっと早く移動する手段を構築するため。
誰に言い訳しているのかは分からなかったけれど、私たち三人は、順番にクロの背に乗って初めて空を飛んだのだ。