七海の日

六月の終わり。花壇の片隅で、誰が育てているのか分からない朝顔のつるがすくすくと成長しているのを見つけた、翌日のこと。
七海は冥さんと、灰原は歌姫さんと任務に行っていて、その日は教室に私一人だった。いつも、三人だけどそれなりに賑やかにやっている分、一人で過ごす教室の寂しいことといったらない。だから、一人の時はいつもメール送信に勤しむことにしているのだ。一番最初に父に送って、その後地元の友達に順々に。ポチポチと携帯に向き合う中、バタバタと近づいてくる足音。どうやら灰原が戻ってきたようだ。時刻は13時50分、五限目が終わったところだ。随分と早かったなぁ。
「大変だよ!」
「おかえり、灰原」
「ただいま!」
蒸し暑い、雨の降る午後。夏服になっても元気な灰原は、自分の机に荷物を置いてから、椅子に座ることなく私の机の前にやってきた。私の机に勢いよく両手をついて、深刻そうに視線を下ろしている。
とは言え、灰原が「大変だ」ということはあまり珍しいことではない。言葉にしてしまえば、私たちの日常は割といつでも大変だから──主に任務と五条さんのせい──なのが少し悲しい。
私たち二人しかいない教室だというのに、灰原はきょろきょろと辺りを見回して他に誰も居ないことを確認してから、彼にしては随分と小さな声で話し始めた。
「今朝出発するときに七海と話したんだけどね」
今までで一番小さかった灰原の声に、思わず私も身を乗り出した。

灰原曰く。

『おはよう! 今日も蒸し暑いね』
『おはようございます。 雨が降っていないのが幸いですね』
『お昼くらいから降るらしいよ。もう七月になるのにね。……………………あ!』
『どうかしましたか』
『七月三日って七海の日だね!』
『……………………』
『そういえば七海の誕生日っていつ? 僕はね──
『…………です』
『え?』
『………………七月三日です、誕生日』

「ってことなんだよ!」
「………………!」
これは…………今まで灰原が騒いできたどの話よりも、大変なことである。
「灰原…………!」
「うん」
「ありがとう!」
私は思わず立ち上がって、灰原の両肩に手をついて力の限りを込めてお礼を言った。

七月三日なんて、もう一週間もしないうちにきてしまう。
七海の誕生日という一大イベント。これは────全力でお祝いしなければ!

力を込めて立ち上がったけれど、冷静になるためにもう一度椅子に座りなおす。灰原も自分の椅子を引っ張ってきて、私たちは膝を突き合わせて考え込んだ。
「とりあえずケーキは絶対に買うでしょ。飾り付けしてパーティしたいところだけど」
「うんうん」
「…………出来るなら五条さんたちには内緒にしておいた方がいいよね……」

七海本人に隠しながら準備するのはそんなに難しくないだろう。基本的に私の部屋に隠しておけば問題ない。何しろ七海は私の部屋の玄関にすら立ち入ったことがないくらいなのだから。
一番の問題は、二年生の三人だ。知られてしまったら、五条さんの手によって確実に収集の付かない大騒ぎになってしまうだろう。……五条家のお祝い方法に興味がないと言えば、嘘になるけれど。
「自分はそんなことありません、って表情してるけど、夏油さんも硝子さんもノリが五条さんと一緒だからなぁ」
「そういえば今日夏油さんたちは?」
「三人で任務だって硝子さんが言っていたよ」
「そっか」
二年生の三人を相手に、どうやって当日まで隠し通すか。二人で教室で考え込んでいても、いい案は浮かばない。こういう時は、動いた方がいいのだと頭を切り替える。
「ねぇ灰原。もう今日だけで準備を終わらせちゃおうよ。当日まで私の部屋に隠しておけば、七海にも五条さんたちにも隠しやすいと思う」
「強行軍だね!」
そうと決まれば善は急げとばかりに、二人で急いで教室を飛び出した。
高専から一番近いショッピングモールへと繰り出して、ケーキを予約する。もちろん、チョコのプレートに名前を書いてもらうことも忘れずに。
ケーキ屋さんを出て、プレゼントを探す為にメンズ売場へ。灰原は早々とハンカチと靴下を手に会計を済ませたけれど、私の方のプレゼント選びは中々に難航した。
考えてみれば、同級生の男子にプレゼントを渡すというのが、初めてだったからである。

熱が出そうなほど悩んで──何しろ「今日だけで準備を終わらせよう」と言い出したのは自分なのだ──結局、温湿度計をプレゼントすることに決めた。
木で出来たフレームの中に、温度、湿度、時刻が白く刻まれている。デジタル表記のものも七海っぽいと思ったけれど、木製の方が何となくおしゃれな気がした。 
ショッピングモールを出たのが18時ごろ。
夏は日が長くて自由に使える時間が多いのがいい。
二年生の人や七海に会っても「灰原と日用品の買い出しに出ていました」と言い訳出来るように、お菓子なんかを買ってプレゼントを覆い隠す。(これに灰原がとても感動していたけれど、彼には後ろ暗く隠したいことがなかったということを実感させられて、少しだけ胸が痛んだ)
作戦は完璧だ。誰から見ても、普通の買い出しにしか見えないだろう。高専の最寄り駅から坂道を上っている時、私たちの脇に見覚えのある車が止まった。助手席の窓がゆっくり開いて、七海が顔を出す。
「買い出しですか」
「そう! 灰原に付き合ってもらったの」
「おかえり七海!」
「ただいま戻りました」
全く偶然の遭遇なのに、どこか落ち着かない気持ちになるけれど、補助監督さんに「お送りしますよ」と声をかけられて、喜んで灰原と後部座席に乗り込む。買い物袋は足元でなく、灰原との中間にそっと置いた。
駅から高専まではずーっと緩やかな坂道だから、車の方が楽だ。疲れないし、汗もかかずに済む。
「随分早かったんですね」
「うん。五限目の終わりに帰ってきたんだ」
「二人とも任務だったし、夕ご飯は私がまとめて作ろうか?」
「ありがとう!」
「ありがとうございます、助かります」
冷蔵庫には何が入っていただろうか。出先だと冷蔵庫の中身というものを鮮明に思い出せないのはどうしてなんだろう。もしかしたら呪いなのかもしれない。
「スーパーに寄りますか?」
「…………いえ、今日は大丈夫です」
補助監督さんの気遣いに感謝しつつ、寄り道を断って真っすぐ寮を目指す。まぁ、何かしらは作れるだろう。何よりも早くプレゼントを自分の部屋に隠したい。
高専の敷地に入ってごとごとと道が揺れだしたので、私は買い物袋を膝の上に抱えた。……この道、舗装しなおして欲しいな。夜蛾先生に話してみたらどうにかならないかな……。

「乗せてもらってありがとうございます」
「助かりました!」
「いえいえ。では、お疲れ様でした」
「お疲れ様です」

補助監督さんと別れて寮の談話室に帰ってきた。明かりがついていなかったので、五条さんたちはまだ帰ってきていないらしい。
──完璧だ。今のうちにプレゼントを隠せば、後は当日にケーキを取りに行くだけ。
「荷物置いてきたら直ぐ作るから」
「じゃあ報告書書いて待ってようかな」
「………………そうですね」
ダイニングテーブルに着く二人を置いて、一直線に自分の部屋へ。お菓子はほっぽって、底に隠していた二人分のプレゼントを机の引き出しの一番奥に隠して、部屋を出る。お腹を空かせた男子高校生が二人待っているのだ。早く夕ご飯を作らなくてはならない。
談話室に戻れば、灰原がお米をといでいた。私たちの間で何となく決まった役割分担の一つ。──ご飯の量は灰原が決めることが暗黙の了解となっている。
「何があったっけ」
冷蔵庫を上から順に開いて、思案する。
「うーん、肉野菜炒めと卵の中華スープでいい?」
「はい」
「ご飯に合うね!」
報告書を書いている七海は視線を動かさないで、お米をといでいた灰原はガッツポーズをとるように上を向いて、そう言った。



***



二人が報告書を書き終えたのとほぼ同時にご飯が出来て、三人で手を合わせて食べ始めたころ、五条さんたちが帰ってきた。

「お前たち随分美味そうに食べてるじゃんか」
「お疲れ様です」
「お疲れ様」
「これ誰が作ったやつ? 灰原?」
「私です」
か…………。俺にも寄こせ」
「さっきファミレスで食べたばっかりなのにまた食べるの」
「後輩だけ食ってんのなんかむかつく」
「悟……」
「大丈夫ですよ、多めに作ったので」
「悪いね、
「美味しいですよ!」
「ありがとう、灰原」
「灰原はいつもそれしか言わないよな」
「…………悟」
五条さんの発言に夏油さんが眉をひそめる。
六月は騒がしいと言ってもいいほど賑やかに終わりを告げた。



***



七月に入って、期末テストの日程が知らされた、七月二日の夜。
23時45分。私は机の奥から引っ張り出してきた二つのプレゼントを手に、自分の部屋をうろうろと歩き回っていた。
灰原は七海の部屋で、二人でテスト勉強中。
私もそこに参加したかったけれど、七海が頑として譲らなかったため、こうして自分の部屋で落ち着かないまま待機している。
硝子さん達も一緒に、と誘ってみればみんなでテスト勉強できるだろうか。三人組なのに二人と一人に分かれて行動するなんて、不和の種になるぞとごねてみようかな。
23時53分。
勉強なんて手につかないのでほっぽりだして、何度も時計を確認しても時間はさっぱり進まない。
七海はどんな反応をするだろうか。驚くだろうなぁ。プレゼント、喜んでくれるかな。気に入ってもらえるといいんだけど。
23時55分。
もう移動してもいいだろう。プレゼントを二つ持って、そっとドアを開けて廊下に出た。



***



男子が女子寮を訪れるのは禁止と明文化されているけれど、女子が男子寮を訪れることは禁止されていないらしい。
時計を見ながら男子寮の通路を歩く。角を曲がったところで明かりのついた部屋から灰原が出てきて、合流することが出来た。
「これ灰原のプレゼント」
「ありがとう! 見つからなかった?」
「バッチリ! 七海には気づかれてない?」
「テストの話しかしてないよ。時間は?」
「今59分……。あ、0時になった!」
「行こう!」
灰原がさっき出てきたばかりの扉を再び開く。
「七海!」
男子寮の部屋も、女子寮の部屋と何も変わらない。トイレとシャワー室、簡易キッチンを通って。
七海の驚いた顔を想像しながら、灰原と声を揃えて──
「誕生日おめでとう!」
「誕生日、おめでとう!」
お祝いの言葉を完璧にそろえることは出来なかったけれど、及第点だろう。
七海は驚いてこちらを見て………………は、いなかった。
「…………やっぱり来ましたね」
………………………………あれ?



***



「こうなると思ってましたよ」
「……何で分かったの?」
シンプルだけど上品な雰囲気の、七海の部屋で。
……何故か私と灰原は二人揃って床に正座して、七海だけが勉強机の椅子に座っている。サプライズとは程遠い雰囲気の中、まるでお説教が始まりそうな空気だった。どうしてこうなったんだろうか。
なんでも、七海によると私たちの行動は全てお見通しだったらしい。
「灰原と話しをしたときからこうなると思っていましたよ。二人で買い出しに行って。はいつもは買ってきたものを披露しに来るのに、何も言わずに部屋に仕舞いこんで。そうして、灰原が夜一緒に勉強しようと誘ってくる」

「………………」
灰原も私もお互いを見たけれど、返す言葉がなかった。
、夜中に一人で男子寮を訪れることについて聞きたいことがあります」
「誕生日だし! 私は七海も灰原も信頼してるし!」
「それで私が納得すると思ったんですか?」
やっぱり私の論理武装では七海には通用しなかった。
「でも硝子さんに話すと、そのまま五条さんに伝わっちゃうから…………。そうすると大騒ぎになっちゃうし……」
「………………その点については感謝しています」
「ねぇ七海、今日はそれくらいにして。プレゼントがあるんだ。開けて欲しいな」
「そうそう!」
灰原の言葉に慌てて同意すれば、七海は大きくため息をついて、「残りは明日にしましょう」と言って、椅子から立ち上がった。

三人で床に座り込んで、灰原が七海にプレゼントを渡す。
灰原が選んだシンプルなハンカチと靴下を見て、七海は「明日使わせてもらいますね」と返して灰原が「うん!」と力強くうなずく。
…………前から思っていたけれど、男子二人は何というか……時々、親友といってもいい雰囲気を醸し出してくる時がある。私たちも二年生になったら、五条さんたちみたいにお互いのことは全部知っていますよ、という顔が出来るのだろうか。
「…………これ、私から」
「ありがとうございます。湿度も分かるのはいいですね」
そう言って、七海はプレゼントの温湿度計を机の正面に置いた。



***



明日も授業があるからと、プレゼントを渡してそのまま解散することになった。もう少しこう、余韻というものが欲しかったけれど、男子寮の部屋に女子が長居することはあまりよくないことだと、灰原と七海の意見が一致して──私は二人の手で早々に女子寮の入口まで送り届けられて。

「明日の夕ご飯は七海の好物でパーティするから。ケーキも予約してある」
「わかりました。では、失礼します」
…………おかしいなぁ。私の想像では、七海はもっと感動しているはずだったんだけど。少なくとも、追い返されるように部屋に戻ってくることは無かったのは確かだ。
「………………」
明日の夕ご飯にケーキがあれば、思い描いていた光景に近づくだろうか。…………やっぱり、想像していた通りにはならないような気がする。
送ってくれた二人にお礼を言って、女子寮の階段を上ろうとしたとき。
「………………
七海に呼ばれて、振り返る。
「ありがとうございます。…………プレゼントも。明日、夕飯はアヒージョをリクエストしても?」
「………………作ったことないけど、大丈夫かな」
「明日教えます。…………また明日」
「………………うん、また明日ね」

少し照れくさそうにお礼を言う七海が見られた。
終わりよければすべてよし、とはこういうことを言うのだなぁと思いつつ、私は自分の部屋に戻った。
それにしても、七海は好物までお洒落だなぁ。


翌日、夕食には七海から教わったアヒージョとケーキが並び、二年生──主に五条さんだけど──には「こういう面白そうなことは事前に知らせろ」と怒られたけれど、私と灰原は達成感に満たされていた。