金色に光るものが今[前編]

8月。スクスクと伸びた向日葵の花は、私の背を越えて灰原の背に追いつこうとしている。
高校生の夏休みといっても、高専生である私たちにとっては言葉の意味が少し異なる。
夏休みでも私たちには──任務がある。
呪術会は五月までが繁忙期だと言われているけれど、夏もそれなりに忙しい。肝試しが企画されることが多いため、その会場になるお墓や学校へ赴くことが多い。
「肝試しってこんなに人気のあるイベントだったんだね」
はやったことない?」
「そういえばないかも。いつも見えてるから、怖いっていう感情とは別のものっていうか。わざわざ夜に出かけなくても、って思う」
「でも小学生の時とかは夜の外出ってわくわくしない?」
「確かに……。でも、肝試し以外の理由がいいな」
その日の任務の出発は夕方だった。私たちはお昼前から集まって、昼食を一緒に食べてから宿題に取り組み、宿題の息抜きに夕食の支度をして……今は数学の答え合わせをしているところだ。
なんだかんだと言いつつ、エアコンの効いた寮の談話室──夏油さんの仕切りにより女性陣に合わせた温度設定だ──に集まることが多い。
他人の目があった方が、宿題の進みがいいからだ。
夏の日の、長い夕暮れが窓から差し込んでいる。
七海が応用問題の答えを声に出した途端に、私と灰原が「あれ?」と答える。
突き合わせてみれば、みんな答えがバラバラだった。
「………………」
「あー……」
こうなった時点で、私と灰原のとる行動は決まっている。
「七海!」
「解説お願いします!」
灰原と私が声をそろえて頭を下げて、七海がため息をついたところで、補助監督さんがやってきて……数学の問題は任務が終わってからということになった。

補助監督さんが車の中を冷やしてくれていたから、快適な道程。
夏の長い夕暮れをよそに、高専を出発する。
「任務の前に宿題片付けたかったなぁ」
「しょうがないね!」
「この前二人がいなかった時さ、五条さんと硝子さんに宿題のこと話したら『お前ら宿題とか真面目に解いてるの? えらいな』とか謎の褒められ方したよ」
途端に七海の眉間に皺が寄った。
入学してから四か月。三人しかいない同期の性格はすっかり把握している。
クールな表情をしていることが多い七海だけれど、嫌なことがあったときは露骨に顔に出るタイプだ。
「この間夜蛾先生に宿題のこと聞いたらすっごく感動していたんだけど」
「もしかして夜蛾先生がよく『お前たちは……』って言ってるやつ、五条さんたちと比べられてたってこと?」
「……あの人達は本当に……」
「……夏油さんもやってなかったのかな?」
「五条さんと硝子さんと夏油さんだったら、夏油さんが一番常識人だけど、それでも……やっぱりちょっとずれてるよね」
「比較対象があまりにも規格外ですからね」
「夏油さんも充分規格外だしね。入学したときは自分も五条さんみたいな感性になるのかなぁなんて思ったりもしたけど」
「勘弁してくださいよ」
「なろうと思ってなれるものじゃないしね」
「自分の感性を大切にってことだね!」
「いい話っぽくまとまったね。じゃあ任務、集中!」
「うん!」

太陽が沈んだばかりの空は、昼の終わりを名残惜しむかのように、美しい藍色をしていた。



***



気温の下がらない夕闇の中、中学校と小学校を二つ回って、呪霊を祓う。
帰りの車に乗り込むころには、すっかり汗だくになっていた。
「車涼しい!」
「あーーーー! アクエリ最高!」
「酔っ払いみたいなことをしないでください」
「七海ー、飲んでるー? ごめんなさい、そんな顔しないで」
七海の言葉に悪ノリしてみたら、五条さんを見るときのような顔をされたので慌てて謝罪の言葉を口にした。
今日はまだ終わりではないのだ。これから帰って、数学の宿題を七海に解説してもらわないといけない。
「任務の前に夜ごはん準備しておいて大正解だったね」
任務のあとに食べられるように、冷やし中華の具を大量に作成しておいたのだ。
帰ってから麺を茹でるだけでいい。自分ひとり分だったらめんどくさくて冷やし中華なんて絶対に作らないけれど、灰原と七海と三人で準備をしたから、大量の具を用意するのもそんなに苦ではなかった。
暑い夏には冷たい麺料理が最高だ。
「では、高専に直帰ということでよいでしょうか?」
「はい、お願いしまーす、あれ、硝子さんからメールだ」
届いたメールを開封すると。
「……………………」
「………………どうしたんですか?」
怪訝にこちらの様子をうかがっている七海に、携帯を託す。
「どうしたの?」
「………………はぁ」
メールの文面は短く、『五条が全部食った』という一言と……用意していた具を食べつくされた、空っぽのお皿の写真。
「全部ない!?」
「冷やし中華……あぁぁぁ……私たちの、冷やし中華ぁ……」
「どこか中華料理屋に寄ってもらえますか?」
「もちろんです! 絶対に冷やし中華を食べましょう!」
、元気出して」
同期と補助監督さんの優しい言葉を聞いて、私は涙が零れそうになった。
「…………今なら呪霊が生めそう」
「そういう言葉は冗談でも言わないでください」
「それぐらい悲しかったってことだよ」
補助監督さんは少し離れた位置にある、美味しいと評判の中華料理屋へと連れていってくれて──私たちは無事においしい冷やし中華にありついた。



***



五条さんに冷やし中華を食べ尽くしたことを厳重に抗議したところ、お中元でもらったという鰻の蒲焼(当たり前のように国産だった)がお礼の品として渡された。……お詫びの品ではなく。
対価としてはあまりにも高すぎるけれど、鰻を渡されたら、もう文句なんて言えない。それに灰原が大喜びしていて、ご飯を目いっぱいに炊いてお昼ご飯は鰻重に決定。
したのまではよかったのだが。

「お前ら明日全員任務ないだろ? 海行くぞ海」
灰原がいの一番に箸をつけて。次に私が鰻を噛みしめて。七海が鰻を口に運んだところで、五条さんがニヤニヤと笑いながら声をかけてきた。
……もしかしなくても、私たちが全員鰻に手を付けるのを待ってから、声をかけてきたのだろうか。予定も把握されているし、こうなってしまったら私たちに逃れる術は残っていない。
「…………」
「海に行くといっても、水着がない、ですけど……」
「この後買いに行くんだよ。盆を過ぎるとクラゲが増えるからな」
悪あがきだった。
噛みしめるように味わっていた鰻の小骨が、口の中で急に激しく自己主張をしてくる。
冷やし中華と、鰻と海水浴。
なんてアンバランスなんだろう。鰻の力が強すぎる。
「美味しいね!」
「お代わりもあるぞ」
喜んで丼にご飯を盛っている灰原が笑っていたので、私は何も言わなかった。
別に、海水浴に行くことが嫌なわけじゃない。
桃鉄百年みたいな耐久レースじゃないし、みんなで行くのも楽しそうだ。
ただ、交換条件みたいなやり方じゃなくて……普通に誘ってくれればいいのにとは思う。
まぁでも、普通に誘われたら七海は断るだろうなぁ。
ちらりと七海の様子を伺うと、やっぱり……彼は眉間に皺を寄せていた。



***



灰原は鰻を二回お代わりして昼食の片づけを終えてから、六人で寮を出発してショッピングモールへと繰り出した。

男子4人は直ぐに水着選びを終えて、本屋に行きたい七海を五条さんが引きずってゲームコーナーへと去っていった。
……なるべく早く水着を決めよう。そうすれば、七海が拘束される時間が短く……なるだろうか?
私と硝子さんが合流しても五条さんが「じゃあ帰るか」と言い出すことなんて……そんなことはあり得ない。そう思うと、私たちの買い物にどれだけの時間がかかっても問題はないということで……硝子さんとたくさんの水着を吟味してから、一着の水着を選んだ。
予想通り、ゲームコーナーで全員が集合してもやはり五条さんが「帰るか」と言い出すことはなく──色んな対戦ゲームを楽しんで、最後には六人でプリクラを撮った。
任務でゲーセンに行ったときは出来なかったプリクラ。念願だったのですごく嬉しい。
明日の海水浴にもあのデジカメを持っていって、沢山の写真を撮ろう。夏の思い出だけで、アルバムを作るのも楽しいかもしれない。
モールのレストランで夕食を済ませて寮に帰って、明日の準備をしてから眠りにつく。
なんだかんだ、みんなで海に行くのを楽しみにしている自分が居て、どこか面白かった。



***



翌朝。八時集合だったのに何故か五時半に五条さんに叩き起こされて、予定時間よりもずっと早く海へと出発した。
電車で向かうものだと思っていたのに、なんと五条さんは家に連絡して運転手とワゴン車を手配していた。
夏油さんと七海は呆れていたけれど、私と硝子さんは素直に感謝してしまった。
行きも帰りも、電車を乗り過ごす心配をしなくていいなんて素晴らしい。予定よりもずっと早い時間に叩き起こされて、正直なところまだ眠い。
三列目のシートに七海と灰原と乗り込む。
眠るつもりだったので、一番奥の席だ。真ん中には七海が座って、ドア側には灰原が座る。
二列目に硝子さん、五条さん、夏油さんが並んで座り、運転はお任せで出発。
「寝るのかよ!」
「小学生みたいな同級生に早くから叩き起こされたからな」
「私も寝るね、おやすみ」
「おやすみ!」
硝子さんの切り返しに黙った五条さんを横目で見てから、窓に寄りかかって目を閉じる。
眠りに落ちるのはすぐだった。



***



「………………」

霧のような、ぼんやりとした何かの向こうから、声が聞こえる。

誰かが呼んでいる。返事をしなくちゃいけないのはわかっているけれど、まだ……もう少しだけ、眠らせて欲しい。
「ん……」
まだ眠っていたいのに、意識は勝手に浮上しようとしている。近くにあった暖かいものを抱き込んだら、瞬間、それは凄まじいスピードで身体から離れていった。
「!?」
驚いた衝撃で脳が一気に覚醒して、開いた目が一番最初に捉えたのは……携帯をこちらに向けて構えてニヤニヤと笑っている五条さんだった。
「……もう少し離れてもらってもいいですか」
思ったよりも近く、真上から降ってきたのは七海の声。
何かがおかしい。そう思って自分の状況を確認してみれば。
「えっ!? あれっ!?」
窓にもたれて眠っていたはずだったのに、眠寝ている間にシートの真ん中に座っている七海に寄りかかってしまっていた。
……ということは。さっき抱えた暖かいものとは……もしかしなくても。
「海行く前からいい写真撮れたな」
五条さんが手にしている携帯には、七海の腕を抱き込んで眠る私の姿が収められていた。

「ごめん、七海……! 本当にごめんなさい!」
「……………………」
「カーブで曲がったときに反動で七海の方に来ちゃったんだよ」
灰原がサポートするように説明をしてくれたけれど、私はもう気が気ではない。
だって、七海が視線を合わせてくれないし、返事だってしてくれない。
どうしよう。もしかしたら七海にとってはとんでもなく信じられないことで、今後ずっとそっけない返事や対応をされてしまったら。まだ一年生の夏休みで、まる二年は高専での生活が残っているというのに。三人だけの同級生で、そんなことになったら辛すぎる。どうにか許してもらう方法はないだろうか。
混乱する脳みそでは名案はさっぱり浮かばない。
「…………もう少し気を付けてください」
七海が大きなため息と同時に吐き出した言葉に、土下座する勢いで頷いた。
「無事に落着したようで何よりだよ。もうそろそろ着くよ」
夏油さんにそう声をかけられて、窓の外に視線を移す。
輝く太陽、きらめく水面、白い砂浜。
「海だー!」
さっきまで眠っていたから体力はばっちり。思いっきり遊べる。
楽しい一日になる。きっとじゃなくて、絶対に。



***



パラソルと浮き輪を借りて基地を作り、飲み物を用意して、準備運動──夏油さん主催──をして早速海へと繰り出す。
硝子さんと浮き輪で浮いたり、灰原と一緒に泳いだり。
デジカメでも携帯でも何枚も写真を撮って、歌姫さんにメールで送って、「五条がいるのは嫌だけどやっぱり一緒に行きたかった」と返事が届いて残念に思ったり。
お昼は海の家で焼きそばを食べて、五条さんが手配してくれたスイカでスイカ割りに挑戦して、ビーチバレーで七海が五条さんに全力スパイクを決めたり。それはもう、ドラマのような海水浴を楽しんだ。
「お前遠慮しろよな。こっちは先輩だっての」
「すみませんでした」
白々しい七海の謝罪がおかしくてたまらない。
ビーチバレーで対戦していた男子四人がドリンクを飲み干して、ペットボトルがすべて空になった。
「飲み物ってまだあったっけ?」
「全部空ですね。私買ってきます」
「あ、
自分自身喉が渇いていたのもあって、夏油さんの返事も聞かずに自販機に向かって駆けだした。
スポーツドリンクと、灰原が飲むような炭酸。夏油さんにはお茶を。両手でペットボトルをたくさん抱えることになるけれど、これくらいなら大丈夫だろう。

「凄い量だね、手伝おうか?」
声をかけられて、反射的にそちらに視線を移す。
声の主は知らない男の人だった。
「大丈夫です、お気遣いなく」
こういう場所で声をかけてくる人に、あまりいい人はいない。
無視して走って戻ってしまおうと思ったら、相手が腕を掴もうとしてきて、一歩下がってそれを交わす。
一緒に来ている人がいると、言葉に出すまでもない。走り出そうと足に力を込めたところで、馴染みのある手のひらに肩を掴まれた。

「…………私たちと一緒の時が一番楽しいんですよね?」
「僕と過ごした夜が忘れられないって言ってたよね!」
…………また五条さんは……。
そのまま流すことも出来たけれど、なんだか面白く思えてしまって、私も話に乗ってみることにした。
「どの夜のこと?」
入学したときのスマブラ対決の夜だろうか。
それとも桃鉄100年で徹夜した日のこと?
七海の誕生日をお祝いして床に正座して怒られたときのことだろうか。
任務で泊まりになったこともあるし、深夜になって呪霊が現れるまで待機したことだってある。
私の返事に、男の人は舌打ちを残して去っていった。
「ありがとう」
灰原と七海が私の抱えていたペットボトルを持ってくれたので、私は自分の分のスポーツドリンクを開けて、喉を潤わせた。
生き返った心地がする。

三人でパラソルを目指して歩き出す。
実は、高専に入ってから、最近心配していることがあるのだ。

呪術師という特殊な世界で。
夏油さんも、七海も、灰原もみんな優しくて丁寧で、こちらに気を使ってくれて。
五条さんは性格が……ちょっと……難がある人だけれど、顔はかっこいい。
この状況に慣れきってしまった時。私は高専以外の場所に行ったとき、相手に求めることが多すぎたり、『七海や灰原なら』とか、物事を判断する基準が彼らになってしまわないか。

それが、少しだけ……心配であり、不安でもある。
特に同期……七海と灰原は特別な存在だ。
同じ歳だし、見える物も同じだから──何かを遠慮したりすることもない。
居心地がいい。三人で過ごす時間が楽しくない訳がない。
七海も灰原も私と同じ気持ちだということを、私は知っている。
確かめなくても分かる。
「五条さんが〝学年対抗砂の城作り対決〟しようって」
「砂山崩しとかじゃないんだ?」
「それはさっき夏油さんとやってましたよ」
「そっか。そうだ、貝殻集めてお城に飾り付けしようよ」
「いいね!」
「〝誰が一番綺麗な貝殻を見つけられるか選手権〟も開催する」
「…………」
七海はため息をついたけれど──彼は一緒に貝殻を探してくれる。
砂の城作りではサポートしてくれるだろう。

楽しいことを全部詰め込んだかのような一日だった。
帰りの車の中で、私はまた七海に寄りかかって眠ってしまうのだけれど。

Title : As Far As I Know