清らかな少女の遺言
8月30日。夏休みが終わる直前に、焼肉のお礼を称した餃子パーティ―を開催した。
ジャガイモとひき肉に嫌気がさすくらいには盛況だった。
灰原は一人で全部ジャガイモを潰してくれて、七海と私は大量の具材を延々と刻んだ。
七海の予測通り、五条さんはコロッケを丸めるのも餃子を包むのも興味深々で──ただ直ぐに飽きてしまった──夏油さんは「小学生の時以来だ」と笑いながら手伝ってくれた。
コロッケは揚がるたびに誰かがつまんで、おやつになってしまった。
ポテトサラダを仕上げてから、ホットプレートに餃子をいっぱい並べていく。灰原は醤油とラー油。七海はポン酢。夏油さんはお酢と胡椒。五条さんは色んな組み合わせを試して、結局「王道が一番」と醤油に落ち着いていて、余ってもいいように炊いたご飯は底をつき、硝子さんは「ビールがすすむ」とご機嫌だった。
大変だったけれど、楽しかった。
蝉の声が変わって、数えきれないくらいのトンボが飛んでいる。
まだ夏の終わりは見えない。けれど、夏休みは終わった。
休みの間は目一杯に遊んだし、沢山思い出が作れたからやり残したことはないけれど……あっという間に終わってしまって、未練がないといえば噓になる。
去年の夏休みも、推薦で早くに進路が決まっていたから、受験勉強する子よりもずっと遊んでいたけれど……今年はそれ以上だ。
休みの間も任務があるから、生活リズムは崩れることなく、学校のある日と同じくらいに起きていたし、何よりも……お給料があって予算が潤沢だという事実。
お金があると……選べる選択肢が増える。
お金で物事を解決する癖がついてしまわないかとどこかソワソワしてしまう。
中学まではタクシーなんて贅沢な乗り物だと思っていたけれど、高専に入学してからは前よりもずっと身近な乗り物になっている。
「そんな風に思ったり考えたりしているうちは大丈夫じゃないですか」とは、七海の言である。
…………初心、忘れずにいたい。
夏休みが終わってから、五条さんも夏油さんも私たちの訓練に時間を割いてくれるようになった。
秋に行われる京都姉妹校交流会。9月はそれに向けて特訓強化月間となっているらしい。名前こそ交流会となっているけれど、要は──相手を殺さなければ大体のことは許される、呪術武道会みたいなものだ。呪霊を相手に戦うときは味方である呪術師を敵として見做すのは、どうにも違和感があって……まだ自分たちが呪詛師と対峙していないことに気が付いた。
今は一年生だから、七海と灰原と一緒に任務に行くか……そうでなければ、引率の先輩と一緒に赴いているけれど。呪術会はいつでも人手不足だから……いつまでもお荷物でいるわけにはいかない。
もっと強くなりたい。その気持ちに嘘はない。
でも! だからって! 夏油さんに抑え込まれ、五条さんに吹っ飛ばされて痛めた身体を硝子さんに治してもらって五分後には訓練再開、なんていうのは絶対に間違っていると思うんだけれども!
9月も中旬に入って、秋桜と彼岸花──こんなに近くで見たのは初めてだった──が咲いて、秋の風に揺れている。
その日も訓練に次ぐ訓練で、私は五条さんに投げ飛ばされて着地に失敗し、足首を痛めてしまった。
五条さんは笑みを深くして「怪我したって敵さんは止まってくれねーぞー」と追撃を加えて──夏油さんもそうだけれど、どうしてこういうときに限って心底楽しそうな笑顔なんだろうか──その後も容赦なくしごかれた。私たちの中で一番体力のある灰原は居残り練習という名目のもと、五条さんと夏油さんの二人を相手に引き続きしごかれている。
…………私と七海は体力も呪力も底をついたので先に切り上げて……いつものように硝子さんのところへ向かおうとしたのだけれども。
「………………立てますか?」
「ごめん七海、肩貸してもらってもいい? それならたぶん、何とか……」
術師の戦闘能力を上げるため、訓練中は式神の呼び出しは制限されている。特に、式神使いは術師本人が狙われやすい。
足を痛めた後も無理やり身体を動かしていたから……結構痛い。この痛み具合からすると、結構腫れてしまってるんだろうなぁとびくびくとしていたところ。
「…………少し触りますよ」
「え? うん、大丈夫だけど」
次の瞬間には私の身体はふわりと浮いて……七海に抱え上げられていた。
所謂、お姫様抱っこである。
「………………ごめんね」
「謝られるほどのことではありません」
いつもと違う角度から眺める七海の顔は、やっぱり綺麗だった。
灰原の訓練を邪魔しないように少し大回りしてグラウンドを抜けて、校舎に入る。
「あ」
…………凄く情けなくて、悲しい事実に気が付いてしまった。
「何ですか」
「遂にコンプリートしちゃった」
「…………ゲームの話ですか?」
「ううん。お姫様抱っこ」
「は?」
「夏油さんでしょ、夜蛾先生に、五条さんと灰原。……それで、今日は七海」
一人ひとり名前を挙げるたびに、指を折ってカウントしていく。
全部で五人。指は全部折りたたまれて、拳になってしまった。
「……………はぁ」
「小説とか映画だとときめくところなのに、ここまでくるともう申し訳なさしかないよね」
「ならもっと気をつけてください」
「そうしてるつもりなんだけどなぁ……。でも足って最初に狙う場所じゃない?」
「…………まぁそうですね」
始めに敵の移動手段を奪うのは戦いのセオリーだ。動けなくしてしまえば、敵はただの的になる。
「七海、!」
居残り訓練を終えた灰原が追いついてきて、三人──私は七海に抱えられているけど──で硝子さんの元へと向かう。
「、足どう?」
「遂にね……コンプリートしちゃった……」
「ゲームの話?」
灰原も七海と同じ返事をするから、私は思わず小さく笑った。
治療してもらえば、小さなかすり傷さえも綺麗に治る。
硝子さんがいなかったら、なんて想像するだけで恐ろしい。絶対、毎日お風呂場に私たちの悲鳴がこだましていただろう。
大浴場でしっかりとお湯に浸かって、身体の疲れを癒す。スキンケアをしてから、灰原と夏油さんから教わったストレッチを入念にして。今日の訓練を思い浮かべて、反省して改善点を洗い出す。入学したときに比べれば動けるようになってきたけれど、灰原も七海ももっと動けるようになっている。二人に置いて行かれるのは嫌だ。そうだ、時間は限られるけれど、明日はデジカメで撮影してみよう。頭で考えるだけの今よりも、打開策が浮かびそうに思えた。SDカードのデータをパソコンに移して、ベッドに横になる。
睡魔は直ぐにやってきて、眠りの世界へと旅立つ。……夢を見ないくらいに、深く深く沈んでいく。
この強化月間で、どれくらい強くなれるだろうか。
***
五条さんと夏油さんが天元様のご指名で星漿体の護衛任務に赴いた日。
訓練はサボるなと言われていた──そもそも誰の頭にもサボるという考えはなかったが──ので、三人で自主練に励む。先輩たち相手では徹底的に負かされていたけれど、三人での訓練だと、実力が近いから勝負と呼べるものになっている。交代で撮影係を担当して、「前よりも力が付いた」とか、「今の防御よかった」とか、励ますようにお互いの成長を喜び合う。
こういう空気、五条さんがいると一瞬で消え失せてしまうからなぁ。七海の攻撃を腕で防いで、拳を前に繰り出す。一度距離を取ろうとしたところを七海に追撃されて、一本。カメラを構えていた灰原と交代するために、足を踏み出した。
訓練を撮影するようになってから、食後の休憩と称して、三人で訓練の録画を見直すことが習慣になった。灰原と七海の模擬戦を再生していると、全員の携帯が同時に鳴り響いた。
こんなことは初めてだ。緊急だ。核心を抱いて電話を取った。
──緊急招集。
知識として記憶していたけれど、実際に呼び出されるのは初めてだった。
「星漿体の護衛任務って、五条さんと夏油さんの……」
「関係者を拉致、取引場所に沖縄を指定……ですか」
「僕たちは五条さんと夏油さんが帰るまで空港の警備だって!」
「なるほど。満月の夜に間に合わせるために、空港を抑えておく必要がある、と」
「重大任務だね!」
「…………………………重大過ぎます」
あの天元様が五条さんと夏油さんを指名した任務だ。
自分たちがかかわることになるなんて、思いもしなかった。
出発便までの羽田空港を警備するため、直ぐに出発することになった。五条さんたちも羽田に向かっていて、そちらで合流するらしい。急いでやってきた補助監督さんと合流し、トランクに荷物を詰め込んで車に乗り込む。
いつもなら補助監督の人から説明を受けるだけだけど、今回の任務は違う。
緊急招集。私たちが派遣されることが決まったのもつい先ほどということで、詳しいことは何も決まっていない。
七海は夏油さんと打ち合わせ。
私は高専に残っている補助監督さんと打ち合わせ。
灰原は夜蛾先生に報告。
なお、補助監督さんには車の運転に集中してもらっている。
電話を片手にメモを取る手が止まらない。任務に行くまでにこんなに話し合いが必要なことがあるとは知らなかった。
電話を切ったら灰原の七海に情報共有。そしてまた報告と打ち合わせ。その繰り返し。
羽田空港までの車中、話し声が途切れることはなく……。
あまりにも目まぐるしい時間だった。
日付が変わって24時半、羽田空港に到着。
まずは空港直結のホテルの一室で五条さん達と合流した。
「五条さん」
「来たか」
「夏油さんは今警備ですか?」
「あぁ。交代で仮眠と警備な」
「分かりました」
「5時までには、明日羽田の警備を担当する方がいらっしゃるとのことです」
「りょーかい」
部屋に入ってからじっとこちらを見ていた女の子。星漿体の少女──天内さんの瞳が不安げに揺れている。拉致されたのは彼女の家族である黒井さんという女性だということだ。無理もないだろう。
「だから、お前が起きてても何の役にも立たないんだから、さっさと寝ろって」
「でも!」
五条さんと天内さんの会話に、思わず口を挟んだ。
「あ……天内さん。初めまして、と申します。黒井さんのことを心配される気持ちは分かりますが、明日沖縄へ移動しますし、少しでも身体を休めた方がいいですよ。寝不足って、思っている以上に不調の原因になりますから。それに……万全の状態で黒井さんを助けに行くためにも、お休みになるべきです」
天内さんの眉根が寄った。
「…………そなたたちは?」
「………………交代で休みます。呪術師として鍛えていますから」
まだ一人前とは言えないけれど、護衛対象である彼女を不安にさせるような言葉は控えるべきだろう。
「………………分かった」
「の言うことは聞くのかよ」
「言い方の問題ですね」
五条さんの言葉に七海が言葉を返せば、天内さんの表情も少しだけ柔らかくなった。
***
深夜2時に夏油さんと警備を交代して、早朝5時前に警備を引き継ぐ呪術師の方と、沖縄へ同行する補助監督さんが合流した。
飛行機の乗客と機体は五条さんが確認済み。
離陸した後は夏油さんの呪霊が警護についてくれる。
私たちの任務の本番は沖縄に到着してからだ。
休める時に休むのも大切ということで、機内では三人揃ってずっと眠っていた。
護衛任務というものは、数ある任務の中でも一番神経を使う。自分の身を守るのならそう難しくはないけれど、自分以外の人や物を守るとなると、途端に難易度が上がる。
肩に力が入っていたからだろうか。私はあっという間に眠りに落ちて、飛行機が着陸する衝撃で目を覚ました。
沖縄に来たのは初めてだ。空港の雰囲気が羽田とはまるで違う。見知らぬ土地に来て、わくわくと高鳴る胸を鎮めて、印刷したフロアマップを片手に施設を確認する。
「ここまで来たらもうやるしかないよね……」
「どう考えても、一年に務まる任務じゃない」
「僕は燃えてるよ! 夏油さんにいいとこ見せたいからね!」
七海は昨日からずっと同じ言葉を繰り返していた。
自分たちでは力不足だと分かっているのに、それでも任務に就かなくてはならない。正直、私も不安で仕方ない。…………この任務の影響力を考えればなおさらだ。
「それにいたいけな少女のために先輩たちが身を粉にして頑張っているんだ! 僕たちが頑張らないわけにはいかないよ!」
「台風が来て空港が閉鎖されたら頑張り損でしょう」
「ねぇ七海、言霊って知ってる?」
「……………………」
東京よりも人は少ないだろうけれど、沖縄は人気の観光地だ。人の往来は絶えない。とりあえず、今日の午後には東京に戻る予定だから、そんなに長い時間ではない。
両手で頬を叩いて、気を引き締めた。
***
クロを巡回させる案も出たけれど、相談した結果、三人で巡回することにした。呪詛師と遭遇した時のことを考えると、〝式神使い〟が一人居るという情報を与えることを避けたかったからだ。
自分たちがこの空港を襲撃する立場だとしたら、どこを狙うか。空港の建物内だけでなく、駐車場、モノレール乗り場、建物周辺にも気を配らなければならない。
ほどなく、黒井さんの救出が無事に完了したという連絡が入り、ほっと胸を撫でおろした。
お昼ご飯は補助監督さんがスパムのおにぎりを差し入れしてくれた。
「美味しいね!」
「スパムがあれば寮でも作れそう。無事に終わったら沖縄風パーティしようか」
「……余計にフラストレーションが溜まりませんか」
「でも沖縄に来たのに空港近辺にしか見られないもんね」
「任務ですから」
「また来ようよ、みんなで」
「スケジュール合わせられるかな?」
「冬休みとか春休みとか」
「…………拒否権はありますか?」
「七海が来ないと私と灰原二人きりになるけど、それはいいの? ツイン部屋とか予約しちゃうかもよ」
「……………………脅迫じゃないですか」
深いため息を吐いたけれど、七海も頷いてくれた。
14時過ぎには五条さんたちも戻ってくるだろう。
任務終了までもう一息、といったところで……。
「夏油さんからだ!」
「………………」
灰原がいそいそと電話に出る。このタイミングでの連絡。しかもメールではなくて電話。……あまりいい予感がしない。
「七海! ! 滞在一日延ばすって!」
「な~な~み~~~?」
「すみませんでした」
「…………仕方ないね。暗くなる前に夜の準備しないと」
近辺のホテルでは空港と距離がありすぎるため、補助監督さんに車の手配をお願いして駐車場で張り込むことになったのだが。
「灰原なんか楽しそうだね?」
「刑事ドラマみたいじゃない?」
「交代で一人ずつ休むということでいいですか」
「そうだね、二人で見回りしよう」
「休んできていいよ!」
「………………分かった、あんぱん買ってくる」
夕ご飯には少し早い時間だけれど、仕方がない。
あんぱんの甘味がじんわりと身体に染み渡る。
昨日から細切れの睡眠しかとれていないから、車の後部座席に寝転ぶと睡魔がすぐにやってきた。
***
実力に不相応な任務にずっと気を張っているけれど、陽が沈んでも、夜中になっても、夜明けを迎えても……呪霊や呪詛師の襲撃はなく。翌朝、十時過ぎのフライトで五条さんたちは無事に帰京した。
……私たちの任務も無事に完了。飲み物を片手にベンチに座って──灰原はまたスパムおにぎりを食べていた──帰りの話をしていたのだが。
「帰りですが、夕方の便になりました。仮眠されますよね、ホテルの手配を」
「じゃあ夕方までフリーということでいいですか!?」
直ぐに羽田行きの飛行機に乗って帰ることになると思っていたけれど、余暇の時間が発生して、勢い余って立ち上がってしまった。
「、目が血走ってます」
「なんで七海はそんなに冷静でいられるの!? 沖縄なんだよ!? お土産買わなきゃ!」
「あなたを見ていると冷静にもなりますよ。沖縄の何があなたをそんなにさせるんですか」
「ソーキそば食べたいね!」
「まず食事と仮眠。買い物はその後です」
「家入先輩にもお土産買わないとね」
「灰原、メールするなら泡盛以外のものを聞いてください」
「わかった!」
うきうきと空港の外に出て、少し早い昼食にソーキそばを食べた。浮かれていて、「眠れるんですか?」と七海に心配されたけれど、ベッドに横になったら一瞬で眠りに落ちた。アラームの音で飛び起きた。
…………お買い物だ!
三人で国際通りを歩き回り、買い物を楽しんで……めいっぱいの沖縄土産を抱えて飛行機に乗り込む。
そして高専の寮に帰ってきたときには、すべてが終わった後だった。
盤星教の差し向けた人間によって、星漿体──天内理子は死亡。
護衛任務は失敗した。
この任務が一人の人間にとって契機となることを知るモノは、まだいない。
Title : 花鹿
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