急告 1

アスランの怪我の具合はもちろん気を付けないといけないけれど、ディアッカの消息についてだけは先に確認しなければならない。はアスランの向かいに腰を下ろし、口を開いた。
アスランは驚きつつも、戦闘中はバスターと距離が開いていたこと、ブリッジで得ている情報よりも詳しいデータを持っていないことを静かに語った。
は続けて、彼が現在MIAと認定され捜索が行われているが──特筆すべき情報は見つかっていないことを告げる。アスランは顔をゆがめた。
「……すまない」
「…………貴方が謝ることではないわ。確認しておきたかったの。今は体をゆっくりと休めて。カーペンタリアでの入院手続きはこちらで行うから」
「…………あぁ、ありがとう」

揺れる船の中、それぞれ思うことがあるのだろうか、誰も口を開くことなく……。静かにカーペンタリアへと帰着した。
司令部にアスランの到着を報告し、入院の手続きをし、ディアッカの捜索活動の状況を確認する。予想していたが、やはり新しい情報はなく、は落胆した。
アスラン、イザーク、の三人で医務室に向かい──イザークは「監視だ」と言い張った──アスランの診察を見届けた。
続いても診察を受け、医師から〝完治〟の言葉をもらった。これには本人よりもイザークの方が安心したようで、安堵するように小さく息を吐いていた。
この数日というもの、は常にイザークと行動を共にしている。その結果、はイザークの表情や行動から彼の感情や思考がある程度読み取れるようになっていた。…………その事実を口に出すことはしないが。
例えば、食事のトレーを受け取るとき。水の入ったグラスを持ち上げるとき。イザークはいつもが負傷している腕を使わないように見ていた。
自分は顔に傷を負った際には止血しただけで出撃したというのに──しかも片目が塞がっていた状態でだ──他人の怪我には随分と煩い。ありがたいのだけれど、釈然としない気持ちを……やはり、が口にすることはなかった。

クルーゼ隊長との面会は5月2日。10日近くの空き時間は、パイロットという立場には珍しい。機体の整備も納得するまで行えるし、怪我も完治したのでトレーニングも制限なく行える。けれど……スピットブレイクの準備に忙しい基地の中で、達の存在は異質だ。出撃する人を見送り、基地の仕事を手伝い、体を動かし、整備の様子を確認──達は出撃が未定のため、優先順位が低い──する。こうしていると……少しずつ、自分の居場所が存在しないのでは、という後ろ暗い感情がの胸に生まれてくる。スピットブレイクを前に、こんなに弱気ではいけない。はマイナス思考を振り払うように頭を左右に振った。イザークは無言での様子を眺めていた。

クルーゼ隊長との面会日まであと三日。
足つきへの追撃に向かった隊もあの艦を逃したらしい。北太平洋の広い海の中で、艦一つを探すのは不可能に近い。恐らく、足つきはアラスカへ入るだろう。……ストライクのデータを持って。
…………ストライクはアスランが墜としたけれど……。出来るなら、足つきとストライクの両方を墜とし、あのモビルスーツの情報や戦闘記録を抹消するべきだった。
にももっと出来ることがあったはずだ。ニコルに手伝ってもらって、連携した作戦を立案するべきだった。皆優秀な人間だから、戦いを続けていればいつかは墜とせると楽観視していたのだろう。……オーブ近海での戦闘で墜とす目前まで迫ったことが、『次に戦えば墜とせる』という慢心を招いたのだ。
だから……だから、ニコルとディアッカを失った。

窓から降り注ぐ赤い夕陽。それは爆発して燃えるブリッツの炎の色に似ていた。
「………………」
は無意識に遮光カーテンを閉める。…………部屋は薄闇に包まれた。……まるで潜水艦の窓から見た、深海のようだった。


***


朝、目が覚めてから直ぐに、カーテンを開いて窓の外を見るのがの習慣になっていた。
分厚い雲が空を覆って……雨が降っていた。
身支度を整え、は静かに部屋を出る。特に言葉を交わしたりしていないのに、示し合わせたかのようにイザークと合流して……朝食を摂る。

機体の整備も、トレーニングルームも、明後日に出撃を控えた隊が最終調整を行っていたため満員で……とイザークはラウンジへと移動した。
窓の外ではまだ雨が降っている。が目を覚ました時から降っていたから、そろそろ止む頃だろうか。そう思ったのと同時に、はここが地球だという事実を思い出す。
この雨は、プラントと違い、定められた時間に降りやむものではないのだ。
イザークは時間を潰す為に買ったと話していた本を読んでいる。売店で一番分厚く、文字が多いものを選んだと言っていたそれは、もタイトルを聞いたことのある文芸小説で、イザークもそういうものを読むのかと衝撃を受けた記憶が新しい。まだ買ったばかりだというのに、イザークが開いているのは後半のページだ。読むのが速いのだろう。思い返してみれば、彼はアカデミーでも資料を読み終えるのが早かった。
は窓の外に視線を移した。空をずっと見ていると雲が動いているのがよくわかる。雲は常に移動しているのに、雨は変わらず降り続けている。不思議だ。
の背後でパタリと本を閉じる音がした。

「…………何を見ている?」
「……雨」
は窓の外を見たまま言葉を返した。

「…………雨なんか見て楽しいか?」
「楽しいというか……不思議で。地球って凄いわね。海もだけれど……天気が未だ慣れなくて。雨がいつ降るかわからないなんて不便よね。止む時間も分からないし……」

の視界の左側、空が光り──数秒後に初めて聞く大きな音が響いた。
「…………今のは……もしかして、雷? 本で読んだ………」
初めて目にする光景にの胸が弾む。俯くことが多く沈んでいた顔が空を見上げ、瞳が輝きを取り戻す。
己の表情の変化に、自身は気が付いていない。けれど……イザークは確かに見ていた。束の間の出来事だとしても……明るい表情を取り戻したの様子に、イザークは胸を撫でおろす。
手にしていた本を再び開き、読書を再開する。イザークの口元が弧を描いているのを見る者はいなかった。


***


正午を過ぎ、雨は緩やかになり……14時を過ぎる頃には止み、その後は雨など降っていなかったかのような晴天が広がった。
部屋には西日が差し、太陽の光を避けてイザークが本の位置を変えた。
窓の外の水平線に太陽が沈んでいく。
この光景を、何度見ただろうか。たちが地球に降下してからそれほど時間は経っていないのに、あまりにも色んなことがありすぎて、実際に流れた時間よりも長い時間を過ごしたかのような心地だ。
個室に籠ることも、一人で過ごすことも……イザークがダメだと言うから、アスランの様子を見に行くときと眠るとき以外、はずっと彼と二人だった。
「………………」
のことを心配してくれているのは、わかっているのだけれど。
どうしても…………どうしても、ニコルと二人で過ごしていた時間と比較してしまうのだ。
音楽の話をしていた。ピアノの話を聞いていた。が読んだ本の話や、家族の話をした。時折、いたずらを仕掛けるように軽口を挟んで笑い合う。それがの日常だった。
…………ロミナとユーリの元に、もうニコルの戦死公報は届いたのだろうか。
テレビの中では、先日議長に就任したばかりのパトリック・ザラが強い言葉で演説していた。意欲的な言葉を続ける議長の姿を、はぼんやりと眺めていた。
パタンと本を閉じる音がして、はイザークの方に視線を移す。読んでいた小説をテーブルに置いたイザークは、少し離れた場所に置かれていた、誰のものかわからない雑誌に手を伸ばした。彼が本を読む姿こそ見慣れているものの、雑誌を手にしているのは珍しい。
「…………もう読み終わったの?」
「いや、長いばかりで驚くほど面白くないから、飽き飽きした」
「………………そう……」
そうはいっても、文句を言いつつ最後まで読むのだろう。
はテレビに視線を戻した。
「チェスでもしていた方がよほど有意義だ」
「………………」
アカデミーで、イザークとアスランはよくチェスをしていた。たまにラスティが観戦しては負けたイザークを宥めて……ディアッカが重いため息を吐く。はその光景を遠目に見ていた──ニコルと一緒に。……懐かしい。あの時から、多くの人がいなくなってしまった。
「…………そうだ、お前、チェスは出来ないのか? リオは出来ただろう」
は思わずぎくりと肩を揺らした。視線だけを動かしてイザークの顔を見てみれば、瞳が爛々と輝いている。
「…………で、きなくは、無い……けれど………。初心者で……」
「出来ない」と嘘を吐けば、それでこの話はおしまいになるだろう。頭の端に思考が過るが、はイザークを相手に嘘を吐けなかった。イザークの瞳が輝きを増して……比例するようにの申し訳なさが募る。
「駒の動かし方を覚えているだけなの。それに兄さん以外の人と対局したこともないから…………!」
の言葉はイザークの耳に届いてはいただろうけれど……意味を成さなかった。
イザークは走ってラウンジを出て、三分と経たない間に折り畳みのチェスボードを手にして戻ってきた。
どうしてチェスボードを持っているのか。そのままアスランのところへ行けばいいじゃないか。……そう口を開く前に、は二人の対局を思い出す。いつも非常に白熱していた。アスランは冷静そうに見えても負けず嫌いで……どう考えても入院している身体にはよくない。いそいそと駒を並べているイザークは随分と機嫌がいい。
「大丈夫だ、手加減する!」
こんなにもイザークの言葉が信頼できないことも珍しい。……逃げる場所がどこにもない。は眉間に皺を寄せて覚悟を決めた。……怒ったり笑ったりしたら直ぐに切り上げてやると、は強く決心し──イザークはそんなことをしないと理解しているのに──恐る恐る駒に手を伸ばした。

「…………本当に初心者なんだな」
「………………そう言ったでしょう」

チェスボードを前に純粋に驚いた表情をしているイザークを、は恨みがましく睨んだ。


***


陽が沈んで夕食をはさみ、夜が更けるまで、二人は延々とチェスをした。……はイザークが満足するまで解放されなかった、という方が正しいかもしれないが。結果はもちろんイザークの全戦全勝だ。イザークは途中から講師のように駒の動かし方をに教え始め──はアカデミーで習った戦術の授業を思い出した──ずっと楽しそうに笑っていた。

イザークが満足して駒を片付け始めた頃、はぐったりと椅子の背もたれに寄りかかりながら、ひたすらに糖分を補給する方法を考えた。手っ取り早く砂糖を大量に入れたコーヒーでも飲もうかと思ったが、身体は甘いお菓子を欲している。味の良くないチョコレートバー──ただカロリーを摂取させることだけに特化している食べ物だと不評だ──でも構わない。が力の入らない足を叱咤して立ち上がろうとしたとき、イザークが「おい」と声をかけてきた。
「何?」
まさか、明日のチェスの誘いだったりしないだろうか。はぎくりと肩を震わせた。疲れ切っていたは、久しぶりに目の前の出来事チェスだけに集中していたという事実──どうやって駒を動かすかだけを考え、ニコルの死を忘れられていたということに気が付いていなかった。
駒を仕舞い終え、イザークが折り畳みのチェスボードを閉じる、パチンという音が、にはやけに大きく感じられた。
「…………お前は、除隊しろ」
がその言葉の意味を正しく認識するまで、二十秒かかった。イザークがそんなことを口にするとは微塵も考えていなかったからだ。
「…………もう、戦わなくてもいいだろう」
もしかしたら、イザークはずっとこの言葉を伝える機会を探していたのかもしれない。

アカデミーに入学した際にも、彼はに同じことを言った。あの時、は……泣き喚いて反発した。なのに、今、イザークの言葉は静かにの体の隅々まで染み込んでいくようだった。
「………………」
ニコルが死んでしまった時。己の中にある、戦いに向かうための気持ち……闘争心というのだろうか。の身体の中に一本通っていた芯が、ぽきりと音を立てて折れた。強い気持ちがなければ、命を懸けて戦うことはできない。はそんな話は誰にもしていないし、誰にも気取られないように細心の注意を払っていた。けれど……イザークは気が付いていたのだ。
…………もう、は戦えないだろう。
「…………そう、ね……」
…………イザークと以前よりも親しくなれたこと。アスランとイザークの関係が変わったこと。
その起因が、ニコルの戦死と、ディアッカのMIAだということが、はどうしようもなく悲しい。
「まだ戦える」と反論も出来ず、イザークの顔を確認して、は視線を落とした。しかし、イザークが立ち上がったため、すぐに視線を上げて彼の動きを目で追いかける。
イザークはの隣に腰を下ろした。二人の視線がぶつかると同時に、彼はの手を取った。
「お前の分まで、俺が戦う」
「………………」
「ストライクはアスランが討ったが……また足つきと対峙することがあれば……俺が討つ」

夜明けの出撃の際に、意気込んでいた彼らの姿が、の脳裏にフラッシュバックする。
『ニコルの仇は俺たちが取ってくるからな!』と語気を強めて話し……戻ってきたのはイザークだけだった。

「私の……私の気持ちなんて、あなたが背負わなくていい」
は二度三度と首を横に振った。そんなことをイザークが背負う必要などどこにもない。
…………ただ、ただ望むのは。はイザークの手を強く握り返す。

「………死なないで」
「………俺は死なない」

頬に雫が伝う。この涙と痛む胸は、なんという名前なのだろうか。にはわからない。目を覆い俯くの肩に、イザークの掌が添えられた。暖かい、生きている人間の温もりだった。


***


イザークと別れて入浴を済まし、個室で一人。は部屋の明かりをつけずにベッドに横になり、暗い天井を眺めていた。
……除隊。この言葉と向き合うことになるとは、まるで想像していなかった。アカデミーを卒業したとき、は終戦を迎えるまで国境警備の任を全うするのだと疑わなかった。エリート部隊と言われているクルーゼ隊に転任が決まった時は驚いたけれど、こんなことになるなんて想像もしなかった。足つきとストライクの撃破という任務は困難だったが……いつか、皆で成し遂げて……また別の戦場へ行くのだろうと楽観していた。
思い返してみれば、恐ろしいほどの自信だ。も仲間も、誰も死なないと思っていたなんて。
除隊。この場所地球では、本国や軍本部の様子は何もわからない。スピットブレイクという大きな作戦の前だし……除隊を申請して認められるのだろうか。
……入院している父は、屋敷は……どうなっているだろう。
「………………」
寝返りを打てば、首から下げているドッグタグが音を立てて揺れた。
あと二日もすれば、ディアッカの捜索は打ち切られる。たちは、彼の生存を諦めて……死亡したという事実を受け入れなければならない。
悲しみは尽きず、の胸の痛みが消えることはない。
その感情に蓋をして、見ないように努めてきた。
こみ上げる涙をそのままに、は瞼を閉じる。眠りにつけば、夢を見るだろうか。ニコルや、ディアッカや、ラスティ……家族の居る夢を?
それが嬉しいのか悲しいのかも、今のにはわからない。
「…………」
瞳を閉じると、静かな闇が訪れる。眠りの世界が優しいのかは分からないが……現実から逃げるように、は訪れる眠気に身をゆだねた。


***


五月になった。ディアッカの捜索は打ち切られ、正式にMIAの認定が下り……とイザークは彼の私物をプラントへ発送した。

睡眠、食事、シミュレーション、食事、トレーニング、休息、食事、身体のケア、余暇、睡眠。
まるで誰かが見えないあやつり糸での身体をコントロールしているかのようだ。
翌二日、ようやくクルーゼ隊長との面会が実現した。
ニコルの戦死から半月が経過していた。

とイザークがブリーフィングルームで待機していると、クルーゼは鷹揚に部屋を訪れた。
敬礼や返礼がなければ、今いる場所が基地だと忘れてしまいそうな空気だった。

「遅くなってすまなかったな。報告は聞いている。ディアッカとニコルの件は残念だが……二人ともよく戻ってくれた」
「はっ」
クルーゼはアスランがネビュラ勲章を授与され、特務隊へ転属となることを話した。
かつてクルーゼも授与されたネビュラ勲章。ザフトに所属している人間でその名誉に憧れないものは存在しないといっていい。これ以上ない栄誉だ。けれど……。アスランは勲章の授与を決して喜ばないだろうと、は確信を持っていた。
そして…………。

、君には本国への帰国命令が出ている」
「……本国にですか?」
「その様子だとまだ聞いていないのかね。お父上の……氏の意識が戻られたそうだ」
「え!?」
その言葉を、はすぐに信じることが出来なかった。隣に立つイザークも驚いた表情をしている。

「…………父が…………」
は父が入院している薄暗い病室を思い出していた。訪れる人間が少なく、空虚な個室。もう目を覚ますことはないのではと絶望感を胸にしながら握った父の手。枕元に置いた花の空しさ……。

「本国に帰国した先でどのような任務が与えられるかまでは分からないが……。まずはお父上に顔を見せてあげるといい」
「…………ありがとう、ございます……」

どのような言葉をかけられても、には実感が伴わない。

「イザークにはスピットブレイクに参加してもらう。機体の整備を怠るなよ」
「はい!」
、夕方にビクトリア行きのシャトルがある。それに乗って行くといい。君の機体はこちらで処理しよう」

次々と進んでいく物事に、の気持ちは追い付かない。本国への帰国命令。準備をしなければならない。荷物をまとめて、それから…………隣に立つ彼に、別れを告げなければいけない。

「スピットブレイクの準備があるから、失礼するよ」と言って、クルーゼはブリーフィングルームから退室した。
時間は有限であり、期限は短い。直ぐに行動を始めなければ。そうわかってはいるのに、の身体は動かない。父が目を覚ました。ずっと眠っていた父が。その時を待ち望んでいたはずなのに、戸惑いと衝撃が大きい。
「おい」
肩に手を置かれて、はびくりと身を震わせ、恐る恐るイザークの顔を見た。
イザークは自分の感情を隠さない。彼が表している感情は偽りのない本音だ。まるで自分のことのように、イザークは喜んでいる。

「よかったな、お父上のこと」
「………まだ信じられないけれど……ありがとう」
「除隊してお父上とゆっくり過ごすといい」
「………そう、ね」

だけが置き去りにされているようだ。
イザークはの帰国を喜んでいる。それは──二人の別れを意味しているのに。
もしかしたら──今生の別れになるかもしれないのに。

機体の様子を見に行くイザークと別れ、は一人で自室へと向かう。
何も特別なことではないのに……近頃はずっとイザークが近くにいたから、それだけでもに違和感を感じさせた。
荷物をまとめるといっても、私物なんて数えられるほどしか持っていない。三十分も経たずに片づけを終え、簡単に掃除を済ませてから、は個室を見渡した。
窓の外に見える海は穏やかだ。一目でそう判断できるほどは海を見てきた。地球に降下した二か月前には、『本物の海だ』とニコルと話していたのに。
「………………」
この個室も、退去と返却の手続きをしなければならない。
……この二か月は本当に、信じられない、思いがけない出来事の連続だった。ニコルと行方不明になったアスランを捜索して、潜水母艦で生活し、オーブに潜入して、そして…………ニコルとディアッカを失った。そのどれもが海の側だった。けれど……もう、この風景も見納めだ。

の心はまだざわめいている。
イザークときちんと別れなければならない。頭では理解している。けれど、帰国へ向けて踏み出す一歩が……にはどうしても恐ろしい。この部屋を出ることも、基地を後にすることも、イザークと別れることも、父が待つ本国へ戻ることも。
恐ろしくても、この場所に立ち止まったままでいるわけにもいかない。は扉の横の壁を指先で一度撫で──感触を確かめるように拳を握り──部屋を後にした。


***


総務部にて退去の手続きを終え、夕焼けに染まる海を横目に飛行場へ向かう。角を曲がると、先の通路にイザークとアスランが居て……は思わず踵を返し身を隠した。そうして、特務隊へと転属するアスランも本国へ戻るのだと思い至る。彼らがどんな風に別れの挨拶を行うのか、には分からないけれど……。以前のように二人の喧嘩を心配する必要はないだろう。ニコルとディアッカが居たらどんなに喜んだだろう。彼らと一緒に……喜んで、笑いたかった。息を吐いて、は化粧室に入り、少しだけ涙を流した。目元を抑えて鏡を確認する。不安や悲しみ、ましてや涙なんて……イザークとの別れで見せるわけにはいかない。イザークが──除隊するまで自身も──心配なく戦えるように振る舞わなくては。たとえ、虚勢だと見透かされていても。
挨拶する間だけでいいのだ。シャトルに乗ってしまえば泣いてしまっても、イザークにはわからないから。


***


シャトルの出発までまだ少しだけ時間がある。は曲がり角を一つだけ遠回りして、イザークを見つけた通路へと進む。やはり、彼はそこで待っていた。
「…………」
の足は自然と歩みを止める。彼と向き合うとき、こんなにも……胸がいっぱいになるなんて思いもしなかった。

思い返せば、泣いて、怒って、落ち込んで……はひどい姿ばかりを見せている。それでも、イザークがを見放すことはなかった。戦前、初めて話したあの時から……はずっとイザークの優しさに触れていた。

「本国に戻ったらすぐに除隊しろよ」

やはり、彼が告げる言葉は〝除隊〟だった。の口元がわずかに緩む。

「イザーク…………。色々と、ありがとう」

ニコルが死んで、ディアッカもアスランも戻ってこなかったとき、イザークが居なかったら、は一体どうなっていたことだろう。想像するだけで恐ろしい。
随分と迷惑をかけてしまった。けれど、は謝罪の言葉ではなく……感謝の気持ちを伝えたかった。
イザークに手を差し伸べられて、は彼の手を握り返す。

「……気を付けてね」
「………あぁ」

どうか、死なないで。はありったけの願いを込めて、イザークの手を握った。

「………………また、会いましょうね。絶対に」
「…………当たり前のことを言うな」

どちらからともなく、ゆっくりと手を離す。
握った手の大きさを。暖かさと力強さを。は決して忘れることはないだろう。
こうして、とイザークは別れた。


***


シャトルにはすでにアスランが搭乗していた。後方の窓際に一人で座っている。
「身体は大丈夫なの?」
「あぁ、か……。……まぁ、歩いたり座ったりしている分には問題ないよ」
本人がそう話しても、三角巾で吊っている腕は痛々しい。
「アスラン、あの…………。ネビュラ勲章、おめでとう。特務隊なんて凄いわ」
の言葉に、アスランは一瞬だけ悲しそうな表情をして苦笑した。
「………あぁ、ありがとう」

パイロットの誰もが憧れる勲章だが……アスランにとってはあまり喜ばしい出来事ではないだろう。……今までストライクに撃たれた人間のことを思えば、それも仕方がない。は会話を切り上げて、アスランの前の列の席に座り、シートベルトを着用した。

…………シャトルの出発予定時刻まで、あと十分。は小さな窓から飽きることなくカーペンタリア基地を眺めた。
未練がある、という言葉は相応しくない。けれど……イザークを一人残していくことが気になるし……何よりも、失ったものが大きすぎた。まだ気持ちの切り替えが出来ていない。……出来る日など、来るのだろうか。
思い悩む間に出発時刻を過ぎたらしく、シャトルは動き出す。離陸し、カーペンタリアの基地が遠く──小さくなっていく。
……あの場所に残って、に出来ることがあるのかはわからない。それでも、離れがたい。胸が痛む理由を、は言葉には出来ない。高度を上げたシャトルは、あっという間に雲の上に出て……基地はもう見えない。景色が歪む。もう泣いても構わない。は一筋だけ涙を流し、強く目を瞑った。


***


カーペンタリアからビクトリアへの移動は、それなりに時間がかかる。とはいえ、モビルスーツを操縦するよりもずっと気分は楽だ。ザフトの制空権を通るため、航路は少し長くなるけれど……この程度は我慢のうちには入らない。

マスドライバーのあるヴィクトリア宇宙港へ到着するまで丸一日かかった。
プラント本国へ向かうシャトルは二日後に出るということで、とアスラン、二人分の搭乗手続きを行い……は続けてアスランの入院手続きを行った。アスラン本人は「もう入院する必要はない」と言っていたが、は医者の検診に付き添い──これにもアスランは表情を歪めた──軍医が下した結果は「入院が必要」の一言。は渋るアスランの背中に手を添えて無理やり病室に押し込み、割り当てられた個室へ引き上げた。

は本国へ帰国した後どの部隊に配属になるか、辞令はないかと確認したが、新しい情報は何もなかった。アスランのように特務隊の任務となれば、機密保持のために直接口頭で命令が下されるだろうと理解できるが、のような特筆すべき点の無い一般兵に〝帰国〟だけの命令が出るのは珍しい。
の第一希望は除隊だが、この命令には…………父の思惑が絡んでいるような気がしてならない。
本国へ戻れば、何もかもはっきりする。
……除隊とは、ザフトを離れ……戦場から逃げ出すことを意味する。こんなにマイナスな選択でも……実現すれば、イザークはきっと喜ぶのだろう。…………恐らく、がザフトに所属していると知って驚愕したであろう父も、同じように。

二日間の間にアスランの怪我はかなり回復したようで、は安堵した。
本国行きのシャトルには数えられるほどの人数しか搭乗しておらず、だけでなくアスランも少し驚いた表情をしていた。スピットブレイクが成功すれば、情勢はこちらに有利になるのだろうか。出来るなら、そのまま終戦となればいいのだけれど。……夢の見すぎだと自覚していても、はそう思わずにはいられない。
無機質な機械音声の艦内放送がかかり、は慌てて手近な席に座り、シートベルトを着用する。
窓の外にマスドライバーが見える。が想像しているよりもずっと大きく、圧倒的な存在感だ。
……宇宙に上る。毎日見ていた海と空に、は心の中で別れを告げた。やがて潜水艦から出撃した時よりも強い重力に息を吞み──その間にもシャトルはマスドライバーを昇っていく──やがて空は黒くなり、重力はなくなる。随分と久しぶりに感じる、懐かしい宇宙だった。


***


シャトルは果てしない暗闇の宇宙空間を進んでいく。青い地球は遠ざかり……小さくなっていく。
すれ違うシャトルの数は多い。地球を目指しているのだろう。
彼らは、どれだけの数が生きて戻るのだろうか。一人でも多くの人に、無事でいて欲しい。は願わずにはいられない。宇宙の片隅で、誰も知ることがなくても。

ボアズへ到着し、とアスランはここで軍本部へと向かうシャトルへ乗り換える。
久しぶりの宇宙で戸惑うのでは、という心配は杞憂に終わり……ボアズの司令部にて連絡シャトルへの搭乗手続きを行い、とアスランはスピットブレイクの目標がアラスカに変更されたことを知った。
パナマを想定した作戦だと思っていたが、アラスカとは……。大規模な作戦はどうしても相手に気取られてしまうけれど、これならば……裏をかいて奇襲した形になるのではないだろうか。きっと……作戦は大成功で終わるはずだ。イザークは拍子抜けして文句を言うかもしれない。それでもいい、彼が無事でいてくれるなら。はそう胸を撫でおろした。

半日ほど待ち、ようやく軍本部と本国への連絡シャトルが到着した。
大きな作戦の最中は他のことがおざなりになるものだ。仕方のないことだけれど、連絡シャトルのスケジュールにも穴が開いていた。

シャトルの往来が激しい港の様子を、は落ち着いた気持ちで眺めていた。


***


L5宙域、コロニー群。砂時計と呼ばれる、独特な形状をしているプラント。帰ってきたこの場所で、を待っているものは何だろう。父の意識が戻ったというけれど、会いに行く時間を確保できるだろうか。緊張と不安、喜びと悲しみ。様々な感情が去来して、の足取りは重い。
アスランと二人で入国手続きを済ませ、軍本部へと向かう。
…………様子がおかしい。

「随分と……騒がしいわね」
「あぁ………」

忙しなく行きかう人の表情は皆硬く、あちこちから怒鳴り声が響いていた。

「全滅!? 全滅とはどういうことだ!? そんな馬鹿な話はなかろう!」
「カーペンタリアは? とにかく正確な情報を……」

不穏な言葉。誰か事情を聞けそうな人はいないかとアスランと二人で辺りを見回す。
とアスランは同時にユウキ隊長──アカデミーの授業でお世話になった人だ──を見つけた。
ユウキ隊長も達に気が付き、足を止めてくれた。はアスランと二人でユウキ隊長の元へ走り寄る。

「ユウキ隊長!」
「アスラン・ザラ、まで……。どうしたんだこんなところで」
「いえ、それよりこの騒ぎは?」
「一体何が起こったのですか?」
「……スピットブレイクが失敗したらしい」
「ええ!?」
「えっ!?」
「詳しいことはまだ解らんが、全滅との報告もある」
「……そんな!」
「………まさか………」

スピットブレイクが……失敗? 全滅の報告?

はあまりの衝撃に、手にしていたトランクを落とし、倒れ込みそうになった。ユウキ隊長が手を回しての身体を支える。

「しっかりしなさい」
「…………申し訳……ありません……」
地面の感触も、足にどう力を入れれば立てるのかも──にはわからない。
イザーク。『俺は死なない』と言っていた、彼も……死んでしまったのだろうか。彼は絶対に最前線で戦っていたはずだ。
〝死〟とは……足音もなく訪れ、気が付いた時にはその渦に飲み込まれてしまう。
『死なない』と言っていた彼の言葉を信じたい。けれど、遠く離れたプラントでは……それはあまりにも脆い支えだった。

「アスラン、君にはもう一つ悪いニュースがある。極秘開発されていた最新鋭のモビルスーツが一機、何者かに奪取された」
「………」
「それの手引きをしたのが、ラクス・クラインだと言うことで……」
「っ!?」
「今国防委員会が大騒ぎなんだ」
「そんな……まさか……。ラクスが……そんな……」

スピットブレイクの失敗だけでも大きなニュースだというのに、加えて国民人気の高いラクス・クラインの造反。
はただ、立ち尽くしていた。