星よりも遠く 2

目の前の光景が、にはとても信じられなかった。これは夢ではないのか。いや、夢であるはずだ。だって、こんな光景は、とても──
はレーダーを確認する。ブリッツの反応が消えていた。

『ニコル……』
『バカな……』
イザークとディアッカの声がの耳に入る。
デュエルとバスターが島に到着していることにも気付いていなかった。

『くっそおおお! ストライク!』
『アスラン! !』

デュエルとバスターがストライクへと攻撃を仕掛けるのを、はカメラ越しに眺めていた。
指も、手も、足も……驚くほどに冷たいのに、先刻打ち付けた腕だけが……燃えるように熱い。
上空にいる足つきが射撃を初めて……の手は何かに操られたかのようにシールドを構え、弾丸から身を守っていた。

『逃がすかぁ!』
デュエルの攻撃は足つきによって阻まれた。
『よせイザーク! 今は下がるんだ! アスラン! !』

ディアッカに名前を呼ばれて、の肩はびくりと跳ねた。
……このままこの島に残っても……どうすることも出来ない。一度体制を立て直す必要がある。そのためにも離脱しなければ。
でも、ニコルが…………。
──ブリッツはコックピット部に剣が刺さり、爆発して四散した。……パイロットが無事な可能性は無に等しい。
それでも、ニコルをここに置いていくなんて……。
!』
イザークだ。
はゲイツを動かす。
射線を切るために海に飛び込み──四人は無事に戦闘を離脱した。
五人ではなく、四人で。
……ニコルを……ブリッツを、あの島に残したままで。


***


帰投したモビルスーツを収容した潜水母艦は海の中に潜り、海中を進んでいる。
足つきからの追撃はなく、第一戦闘配備は解除された。
アスラン、ディアッカと三人で男性用ロッカールームに移動し……アスランとディアッカは黙々とパイロットスーツを脱ぎ、軍服に着替えている。
ロッカールームは沈黙が支配していた。
イザークは、ディアッカのこともアスランのことも──もちろんニコルのことも──〝同僚〟としか思っていなかった。仕事を共にするだけの人間。仲間ではあるが、友達ではない。
気が合う訳でもなく、返ってくる言葉は大体がイザークにとって愉快なものではない。
だから、今まで賑やかに雑談なんて交わしたことはない。
ニコルがアスランに声をかけて、返事をしたアスランの言葉が気に食わなくて……イザークかディアッカが文句を言ったり、反対の意見を出したりする。
そうやって過ごしてきた。
…………静かなロッカールームで、いつも会話のきっかけを作っていたのは、ニコルだったのだと思い至る。
………………どうして、今になってこんなことに気が付いてしまうのだろう。
いつも……彼が配慮してくれていたのだ。
昨日までのイザークはそんな簡単なことにも気が付いていなかった。
挙句の果てには、ニコルを死なせてしまった。
自分は何をしていた?
ただニコルが死ぬのを眺めていただけじゃないか。
……こんなに自分に怒りが湧いたことはない。

「くそっ」

目の前のロッカーに拳をぶつけても、何も起きない。
何かが好転するわけでも、イザークの怒りが解消される訳でもない。
それでも──殴らずにはいられなかった。

「くそぉ! くそっくそっくそっくそっくそっくそっ! くそぉぉ! !くそっ! この! …………」

殴るだけでは飽き足らず蹴りを入れれば、ロッカーは凹み、その拍子に扉が開く。
衝撃で留め具が外れたのだろう。
そんな些細な事でさえイザークの神経を逆撫でした。

「イザーク!」
イザークが拳を振り上げ、再びロッカーを殴ろうとしたところで、ディアッカに肩を引かれ──拳は空を切る。
イザークはディアッカの顔をきつく睨みつけた。

「何故あいつが死ななきゃならない! こんなところで! えぇ!?」

アスランもディアッカも、何も言わずに冷静に着替えなんてして──何故怒らないのか。
ニコルが──ニコルが死んだのに!

アスランにも強い眼差しを向ければ、同じ強さで睨み返された。
パイロットスーツの首元を掴まれて体を押され、イザークはロッカーに背中を打ち付けた。

「言いたきゃ言えばいいだろ! 俺のせいだと! 俺を助けようとしたせいで死んだと!」
「アスラン!」

イザークの視界が僅かに滲む。
涙が出てきた──あまりにも悔しくて。
いつも……いつも、こんな風にやり合っているイザークたちを諫めるのは、ニコルだったのに。

「イザークも止めろ! ここでお前らがやり合ったってしょうがないだろ! 俺達が討たなきゃならないのはストライクだ!」
「分かってるそんなこと! ミゲルもあいつにやられた! 俺も傷を貰った! 次は必ず、あいつを討つ!」

凹んだロッカー。
こちらを睨むアスラン。
わざわざ当たり前のことを繰り返すディアッカ。

すべてが不愉快だった。 
目的地があった訳ではないけれど、足を動かさずにはいられなくて……イザークはロッカールームを飛び出した。
ストライクを討たなければならない。
──これ以上の犠牲が出る前に。


***


狭い潜水艦の中をあてもなく歩き回り、後ろをついてきていたディアッカを振り切って……イザークは格納庫に辿り着いた。いつもブリッツが格納されていた場所がぽっかりと空いている。イザークの胸にまた悔しさやストライクへの憎しみが募ったところで、ゲイツが目に入った。
……そうだ、は…………どうしているんだろう。
帰投してからすっかり姿を見ていない。
後から後からこみ上げてくる怒りに気を取られて、今まで全く気が付いていなかった。
悲しみに優劣をつけるつもりはないが、彼女の悲しみは……誰よりも深いはずだ。
……あれほど仲のよかった、幼馴染の死。
イザークにどうにか出来るとはとても思えなかったが……気が付いたのに放っておくことなど出来ない。

のこと、僕が居ないときは気にかけてやってね』

いつかのリオの言葉がイザークの脳裏を過る。頭の中で微笑んでいるリオに苛つきながら、イザークは足を速めた。
女性用のロッカールームに居るかと思い、チャイムを鳴らしてみたけれど応答はない。イザークは「開けるぞ」と声をかけて扉を開いた。けれど……中には誰もいなかった。
に割り当てられている個室、ブリーフィングルーム、行き違いになっている可能性を考えて、格納庫にももう一度訪れる。思いつく限りの場所を探したが、やはりはいなかった。そう広くない潜水艦の中で、行く場所など限られている。イザークは出来ればあまり行きたくない場所に足を向け…………やはり、そこでを見つけた。
──ニコルに割り当てられていた個室だ。

は狭い部屋の隅に呆然とした表情で、膝を抱えて座り込んでいた。ゲイツを降りたその足で来たのか、まだパイロットスーツを着用したままだ。
イザークが部屋に入るとはっとしたように揺れる瞳でこちらを見たが、求めていた人物とは違うことを確認すると落胆したように虚ろな目で視線を落とす。
一体、なんと声をかければいいのだろう。お世辞にもニコルと親しいとは言えない間柄だったイザークやディアッカですら……身体の一部を失ったかのような喪失感に襲われているのだ。幼馴染である彼女の欠落感はどれほどなのかイザークには想像もつかない。
……泣いたり、喚いたり、怒ったり、悔しがったり……あらゆる感情を失ったかのように、の表情は虚ろだった。
現実を受け入れることが出来ていないのかもしれない。

自分たちは皆、戦場に出て明日をも知れぬ身だというのに…………いつからか、ただ漠然と〝今〟がずっと続いていくと勘違いしてしまっていたのだ。
ラスティが死んだときも、ミゲルやオロール、マシューが死んだときもそうだった。変わらないものなんてない。イザークの顔の傷もそのうちの一つだ。
の手を取ったが、反応はない。手袋越しなのに彼女の手は驚くほどに熱い。イザークはどうするつもりなのだと自問自答した。どこかへ連れていこうとでもしたのか。──でも、どこに?
手を取ったまま動かない二人は傍から見たらおかしな光景だったかもしれない。俯いたは何度か瞬きをして──そして、静かに口を開いた。

「…………ニコルは……」
「…………………………」
「…………帰って……来ていないわよね……」
「………………あぁ」
「……ニコルは…………………………死ん、だのよね……?」
「………………あぁ……」

それは、まるで自分自身に説明するような静かな言葉だった。
ニコルは死んだ。
彼はもう──戻ってこない。
の瞳からポロリと涙がこぼれた。

…………ニコル。お前の大切にしていた幼馴染が泣いているぞ。
…………お前が居ないから。


***


ブリッツが爆発した光景が、何度も何度もの頭の中で再生されている。見たくない、考えたくないのに、目を閉じてもまったく頭から離れてくれない。はあてもなく歩いていたはずだったのに、気が付いたらニコルの部屋にやって来ていた。先ほどまで……小島でストライクと戦っていたはずだ。一体どうやって母艦まで帰ってきたのだろうか? まったく記憶がない。はよくここまで無事だったな、と自嘲するように感心した。
……扉にロックはかかっていなかった。短い扉の開閉音。はおずおずと部屋に足を踏み入れる。狭いベッドと、小さな机だけが設置されている小さな部屋だ。
机の上には数枚の楽譜が置いてあった。この前トビウオを眺めながら話していた曲だろうか。音符の羅列は途中で止まっている。最後の一枚、タイトルに書かれていたのは、『わが友に贈る』の言葉。
…………は『絶対にやめて』と言ったのに。作ろうとしていたんだ。きっと、『最後にタイトルを変えればいいでしょう』と言ってを納得させるつもりだったのだろう。……ニコルのピアノが大好きだから、そう言われてしまえば、には頷くことしか出来なかっただろう。
彼の指が鍵盤を叩いて、ピアノが優しい音を奏でる。彼の隣でその光景を眺めるのが好きだった。
昔からずっと変わらない。ニコルは空き時間のすべてをピアノにつぎ込む。
そして、はそれを……ずっと隣で見ていられると、信じていた。

がこの部屋に来てから、どれほどの時間が過ぎたのかわからない。もしかしたら、ひょっこりとニコルが帰ってきたりはしないだろうか。そんなことを考えても、直ぐに頭の中で冷静な声がしてそれを否定する。
『……アスラン……逃げ……』
ニコルの最後の言葉がの耳に残って消えない。彼は死んだのだ。もう、この世のどこにもいなくて、二度と──会うことは叶わない。
「……………」
この……どこか寂しくて、虚しい気持ちをはよく知っている。父がテロに遭った時。母と兄が死んだ時と同じだ。あの時はニコルが側に居てくれた。でも……彼はもう、どこにも居ない。
家族も、幼馴染も、皆……いなくなってしまった。
一人きり。……孤独とは、こんなに恐ろしく、悲しく……寂しいものなのか。

扉の開く音がして、誰が来たのかとは視線を動かした。入口にイザークが立っていた。彼も、ニコルを追い求めてこの部屋までやって来たのだろうか。いつも嫌味ばかり言っていて、お世辞にも仲がいいとは言えないのに。
イザークはの目の前までやってきて、何も言わずにの手を取った。手を取ってどうするのかと思ったが、彼は何も言わず、何もしない。……彼も、この虚しさを感じているのだろうか。

「…………ニコルは……」
「…………………………」
「…………帰って……来ていないわよね……」
「………………あぁ」
「……ニコルは…………………………死ん、だのよね……?」
「………………あぁ……」

イザークの手の温かさが手袋越しにの掌に伝わる。彼は生きている。ニコルは死んだのだ。の目の前で。ニコルが乗っていたブリッツは爆発して、バラバラになって燃えていた。小島での光景が再びの目の前によみがえる。………ニコルは死んだのだ。
──助けることも出来なかった。はただ、見ていることしか出来なかった……。堰を切ったように、涙が溢れて止まらない。
「………っ……」
ニコルは死んだのだ。もう、あの優しい笑顔には会えない。決して、二度と。
イザークはの手を引いて、の身体をそっと抱きしめた。それは、抱擁と呼ぶにはあまりにもぎこちないものだった。
兄と母が死んだ時も、ニコルが抱きしめてくれた。手を握って、ただ側に居てくれた。遠い昔のことではないのに、もう随分と前のことのように思える。
はイザークの肩に額を当てて、ただ静かに泣いた。言葉はなかった。何を言ったらいいのかもわからない。どれだけ言葉を並べても、相応しい言葉は見つけられないだろう。


***


泣きすぎて頭が痛い。どれくらいの時間が経ったのだろうか。ゆっくりと瞼を開いてイザークの胸元を見れば、もイザークもパイロットスーツのままだということに気が付く。軍服に着替えなくてはならない。
イザークの肩をそっと押して、二人は離れる。肩を押したときにの利き腕がビクリと反応をしたのを、イザークは見逃さなかった。
「……腕はどうした」
イザークに声をかけられても、は直ぐに答えられなかった。ぼうっとした頭で曖昧な記憶を辿る。……そうして、先ほどの戦闘で強く打ち付けてしまったのだと思い至った。
「……戦闘中に、打った」
ぽつりとそれだけ言うと、イザークは無言での痛めていない方の腕をとった。ニコルの部屋を後にして、ずんずんと医務室へと向かうイザークの背中を見ながら、は怒りっぽい人だと、まるで他人事のように思った。

医務室で手袋を外してパイロットスーツの腕をまくると、の手首は見たことがないくらい腫れていた。軍医に直ぐに手当てに来なかったことを怒られつつ、湿布を張ってもらい、ネット包帯をつける。

「しばらく動かさないように気を付けて。腫れが引くまで戦闘には出ないように」
「え……」
「利き腕を痛めた状態でモビルスーツの操作なんて細かいこと出来ないでしょう?」

軍医の言葉は正しい。けれど、戦闘に出られないなんて。頭を過った己の言葉に、の背筋は震えた。戦闘に出たいのか。ストライクを撃ちたいと思っているのか。人を殺したいと、思っているのか──
今までも戦ってきたのに。敵を撃つのは当たり前のことだ。戦争をしているのだから。プラントを守るためにザフトに入った。地球軍の足つきとストライクを撃つことは当たり前だ。でも…………。その事実が、途方もなく恐ろしい。

「丁度いいだろう、腕が治るまでゆっくり休め」
医務室の前の通路で、イザークは一人頷いている。
「ニコルの仇は……ストライクは、俺が撃つ」
イザークの真っすぐな瞳に射貫かれたように、は動くことも返事を返すことも出来なかった。
彼はまた、戦いに行くのだ。


***


夜明け前、いつもなら休んでいる時間。艦を補足したという艦内放送があり、パイロットたちは緊急集合した。
艦を特定するまでブリーフィングルームで待つのが通例だが、逸る気持ちを抑えられず全員でブリッジに向かいモニターを眺めている。
腕の負傷はすぐにアスランとディアッカにも共有され、怪我が治るまでの出撃は見送られることが満場一致で決まっていた。
イザークたちとブリッジに来ても、に出来ることは何もない。けれど、出撃する彼らを黙って見送るなんてことは出来ない。まだ少し痛む手首をさすりつつ、は歯がゆい思いを抱え、一歩下がった位置で三人の背中を見ていた。
そして──

「センサーに艦影、足つきです!」
「間違いないか?」
「ありません!」

その言葉を聞き、三人がモニターを覗き込む。も一歩前に出て、彼らの隙間からモニターを見た。

「小島だらけの海域だな。日の出も近い。仕掛けるには有利か」
「今日でカタだ! ストライクめ!」
「ニコルの仇もお前の傷の礼も、俺が纏めて取ってやるぜ!」
「出撃する!」

いつもよりも数倍引き締まった三人の表情。だけど、目だけがギラギラと輝いている。
格納庫に向かう彼らを追いかけて、もブリッジを退室した。

、お前は大人しくしていろよ」
イザークが念を押すように言う。そこまで心配しなくても、イザークのような無茶はしない。
は胸に渦巻く感情を上手く処理することが出来ないでいた。
この気持ちは一体何なのだろう。彼らが心配なだけなのか、それとも……恐怖なのだろうか?

「ニコルの仇は俺たちが取ってくるからな!」
三人とも雪辱に燃えている。……いつも冷静なあのアスランですらも。
昂った気持ちは、時によい結果をもたらすが……どちらかというと悪い結果を連れてくることが多い。
ニコルのことは悲しい。ストライクと足つきを放置することは出来ない。
の思考はまとまらない。けれど、伝えたいことがある。
格納庫へと通じる扉の前で、は決意をして三人を呼び止めた。

「どうした?」
イザークがの様子を伺うように振り返り、一歩足を進めた。
どうか………………どうか。
「死なないで……生きて、帰ってきて」
もう誰も失いたくない。
激励の言葉としては相応しくないだろう。けれど……偽りのない、の本心だった。

『トリムそのまま、海面まで二〇』
『対空防御、スタンバイ! 射出管制オンライン!』
『警報発令!』
『浮上します!』

モビルスーツを射出するために艦が浮上する。ハッチが開き、丸く切り抜かれた空が見えた。
全員の出撃を見送り、は急いでブリッジへと引き返す。
どんなことが起こっても、何が待っているとしても……戦闘の情報が最も早く集まる場所に居たい。
の不安が、恐怖が……すべて杞憂で終わるといい。
ストライクのことを憎んでいる訳ではない。
ストライク撃墜の報が届いても、が以前のように喜んだり、達成感を感じることもなく、ただ一人死者が増えたことを悲しむのだろう。
「………………」
は戦争の本質に触れたような気がした。

一秒、一分という時間は、恐ろしいほどに長い。ブリッジの中央に設置されている大きなモニターに、レーダーの情報が映っている。オペレーターと艦長の声を聴きながら、はモニターの小さな点──アスランたちのモビルスーツの動き──だけを注視していた。
やがてモニターの端に新しいポインターが増え、小さな丸い印が少しずつ近づいていき……戦闘が始まる。
足つきとストライク、それに支援戦闘機が一機。
その場に居なくても、確かに解ることが一つだけある。
今までになく、激しい戦いだろう。
命の奪い合いをしているのに、誰も死なないことを願うのは不合理だ。戦場では誰の命も保証されない。
この戦闘で彼らが──
「デュエル、帰投します。パイロットに軽傷あり」
オペレーターの声を聞き、はブリッジを飛び出した。
イザークが帰ってきた。生きている。でも負傷をして。軽傷だと言っていた。きっと大丈夫。不安にざわめく胸を押さえつけるように、格納庫を目指して走った。

が格納庫に辿り着いたのと同時に、ハッチが開き、デュエルが収容される。
イザークは直ぐにコックピットから降りてきた。
「戦闘はどうなっている!?」
額を切ったのだろうか、イザークの頬に血が流れていた。
「手当てが先よ」
「…………っ……!」
先日とは逆に、がイザークの手を引き医務室へと向かう。
出血のわりには傷は小さく、簡単な処置は直ぐに終わり……二人は急いでブリッジへ向かった。

「艦長!」

扉が開ききるのを待つことなく、イザークは扉の隙間に身体をねじ込むようにブリッジに入った。
はイザークの背中に駆け寄った。


「もう、いいのかね?」
「アスランとディアッカは? 艦が動いているな! 状況はどうなっている!」
「二人は不明だ。我々にはクルーゼ隊長から帰投命令が出ている」
「っ!?」
艦長の口から静かに発せられた言葉に、は息を呑んだ。
アスランとディアッカの優秀さを間近に見ながら共に学んできたのだ。だからこそ信じられない。彼らが──

「不明? 不明とはどういうことだ!」
「詳しい状況は解らん。まずバスターとの交信が途切れ、やがて大きな爆発を確認した後、イージスとの交信も途切れた」
「エマージェンシーは!?」
「どちらからも出ていない」
「っ!」
「…………では……二人は……MIA、だと?」
「そう判断するしかあるまい。生きているのであれば、エマージェンシーや他の手段で……報告を入れるはずだろう」

告げられたのは、これ以上なく現実的な言葉だ。は返す言葉が思い浮かばなかった。

「ストライクと足つきは!?」
「足つきは、オズマン隊が追撃している」
「そんなバカな……。すぐに艦を戻せ! あの二人がそう簡単にやられるか! 伊達に赤を着ている訳じゃないんだぞ!」
「ならば、状況判断も冷静に出来るはずだがね」
「……っ……」
「我々は帰投を命じられたのだ。捜索には別部隊が出る」
「だが……!」
「オーブが動いているという報告もあるのだ。解ってもらえるかな?」
「……くっ……」
「…………捜索に出る部隊についての情報は? 規模や編成などの」
「現時点では何もない。カーペンタリアへ戻れば、そちらの情報もはっきりするだろう」
は横目でイザークの眉間に皺が寄ったのを確認しつつ……頭の中で状況を整理する。

「…………イージスとバスターのシグナルをロストした座標は?」
「カーペンタリアに連絡済だ」

小島の多い海域での戦闘だった。どこかの島に脱出している可能性も高い。地球に降下したときも捜索に出てアスランを見つけたじゃないか。けれど、クルーゼ隊長からの帰投命令に背くわけにはいかない。
結局のところ、達はカーペンタリアに戻るしかないのだ。
たとえ、もどかしくて……納得出来ていなくても。

「……わかりました。艦長、ありがとうございました。……イザーク、行きましょう」

はイザークの腕を引いてブリッジを後にした。

通路を歩いている間は大人しく手を引かれていたイザークだったが、ラウンジに入った途端にの肩を掴み、二人は視線を合わせた。

「お前、本気で言っているのか!?」
「貴方を見ていると冷静になるわ」
「……嫌味を言えるくらいにはなったのか」
「ソナーに影響してしまうから静かにして」
!」
「帰投命令が出ている以上、今の私たちにはカーペンタリアに戻るしかないわ」
「だが、あいつらを」
「カーペンタリアに着いてからどう動くのかを考えるの。クルーゼ隊長に話をしてみましょう。もしかしたら、私たちも捜索部隊に加われるかもしれない」
「……スピットブレイクの部隊に編入される可能性もある」
「そればかりは帰ってみないと分からないわね……。でも、足つきの追撃も貴方とディアッカが隊長に具申したから実現したのよ」
「……………………」
「今出来ることは……生存の可能性があるということを訴えて、捜索活動の妨げになるものを排除することよ。…………歯痒いかもしれないけれど」
「………………クルーゼ隊長の許可を得たら、そのまま捜索に出られるように準備しておけよ」
「もちろん。貴方もね」
納得はしていないが、折り合いはつけられたようだ。にはそれだけで充分だった。


***


カーペンタリアへと帰投するまでの二日間。
とイザークは死亡した隊員の荷物を整理することになった。
渡された遺品箱は三つ。
「………………」
「………………」
アスランとディアッカの二人は、まだ死亡を確認した訳ではない。だから、遺品として私物を整理するのは……。
「…………カーペンタリアに戻れば、この艦を……離れることになるでしょう。だから…………荷物を移動させないと」
「…………詭弁だな」
「…………何か意見が?」
「いや、それでいい」
「ニコルの荷物は、私がまとめてもいい?」
「あぁ。ディアッカの荷物は俺がまとめる」
「アスランの荷物は……最後に二人でやりましょう。ラウンジでいい?」
「あぁ」

ロッカールームに仕舞ったままだったニコルの軍服を丁寧に畳んで箱にいれると、それだけで半分以上のスペースが埋まった。
楽譜はファイルに入れてから軍服の下に入れ、ニコルの個室へと向かう。
デスクの引き出しを確認すると、便箋が視界に入る──両親への手紙だ。はとっさに視線を逸らした。潜水艦という環境ではいつ投函出来るかわからないのに、手紙を書いていたんだ。…………ニコルらしい。思わず頬が緩んだ自分に、自身驚いた。
…………笑えるのは、生きているから。
…………あぁ、胸が痛い。涙が零れる前に、は目元を抑えた。

デスクの上に立ててあった三冊の本を入れて、ニコルの私物整理は終了した。
「………………」
の片手でも持てるほどに小さく、少なく……あまりにも呆気ない。
長く滞在していたガモフだったら、もう少し量があったのだろうか……。今となってはもうわからないけれど……。
ロミナとユーリは、この箱を受け取ってどう思うのだろう。……もう、彼らにニコルの戦死は伝わっているのだろうか。優しい二人。いつまでも笑って幸せでいて欲しいのに、これからずっと悲しみと隣り合わせで生きていかなくてはいけない。の胸が張り裂けそうに痛む。
……ラウンジへ向かう前に、一度鏡で顔を確認したい。イザークを待たせてしまうけれど、このまま顔を合わせるよりはいいだろう。……どのように取り繕っても、きっと彼には見破られてしまうだろうが。
ニコルの遺品箱を持ってラウンジに向かえば……同じ箱を手元に置いているイザークが待っていた。

「…………ごめんなさい、遅くなってしまって」
「……いや、問題ない」
「………………」
「……少し休め」
「…………ありがとう……」

無理やり持ち上げた口角は、自然な笑みを浮かべられているだろうか。イザークの眉間に皺が出来たのを確認し、は失敗したのだとどこかぼうっとした頭で考えた。
はイザークの正面に腰を下ろし、自身の隣にそっと箱を置いた。
イザークに差し出された水のボトルを受け取り、湿らせる程度口に含む。

ぎこちない会話を数度繰り返して、が手にしていたボトルの水を半分ほど飲み終えた頃。
「…………行きましょうか」
「そうだな」
アスランとは、アカデミーに在籍していた時からの付き合いだが……あまり多くを語らない彼について、ほとんど何も知らないに等しいのだと痛感する。扉を開けるのを躊躇していたの前で、イザークは何食わぬ顔で扉を開き、遠慮なくアスランの個室に足を踏み入れる。

イザークがどのように考えていたかは分からないけれど、が想像していた通り──アスランの私物も片手で数えられるほどしかなく、十分と経たずに荷物整理は終了した。

の胸に去来する、この気持ちは何なのだろう。
悲しい。虚しい。──寂しい。もっと、もっと……彼らと話をしていればよかった。もっと、にも出来ることがあったはずだ。どうして何も行動せずに、彼らを黙って見送ってしまったんだろう。
時は戻らない。この後悔を抱えて生きて、戦い続けるのか。漠然とした恐怖がの心に渦巻いていた。


***


航海は無事に進み、敵と遭遇することなくカーペンタリアへ帰港した。
艦長と短く言葉を交わし、遺品箱をを抱えて船を降りる。五人でこの港から出発したのがつい昨日のように思えるのに、今はイザークとの二人だけだ。……一体どうして、こうなってしまったのだろう。波の音だけが穏やかに響いていた。


遺品箱を本国へ発送しなければならない。それから、捜索部隊についての確認をする。

「…………行くぞ」
「…………えぇ……」
イザークに肩を叩かれ、は恐る恐る足を進めた。この小さな遺品箱を手放せば、ニコルの面影は完全になくなってしまう。ニコルの生きていた証を失うことが、にはどうしようもなく悲しかった。


***


基地には大勢の人がせわしなく行き交っている。総務部へ赴き、隊員に声をかけて手続きを始める。は最後に遺品箱をきつく抱きしめてから、それを差し出した。

「所属部隊と名前、認識番号は?」
「クルーゼ隊の……ニコル・アマルフィです。番号は……」
「ありがとう。…………? ……クルーゼ隊……」

事務手続きを担う隊員の視線が宙に浮く。
は不思議な心地でそれを眺めていた。

「あの、何か?」
「…………いえ、昨日、オーブから連絡があったのよ。隊員を保護していると。アスラン・ザラってクルーゼ隊で有名でしょう?」
「はぁ!?」
「えっ」

隣にいたイザークの大きな声に驚いて、の肩はびくりと跳ねた。

「そちらの箱も発送を?」
「待て! 今の話はどういうことだ!」
「イザーク、怒鳴らないで。あの、詳しい話を聞きたいのですが、担当の方は?」

イザークが運んできた二つの箱──アスランとディアッカの遺品箱──の手続きを取りやめて、総務部の一角に移動する。オペレーターがディスプレイにオーブの外務省から届いたというメッセージを表示してくれた。

「アスラン・ザラを保護している……」
「あいつ……!」

何故オーブが? の胸に疑問と混乱、驚きと喜び……あまりにも多くの感情が湧き出て、処理が追い付かない。この情報が真実ならば、アスランは生きている。偽情報の可能性も考慮しなければいけないが……。
「引き渡しは?」
「二日後。こちらの領海の境界線となる海域ね」

「……………………」
「……………………」

はイザークと視線を合わせたが、どちらも言葉を発することはなかった。


***


クルーゼ隊長から指定された日付は七日後。想定していたよりもずっと遠い日付だった。なるべく早くクルーゼ隊長に会い、ディアッカの捜索部隊に加わる許可を得たかったのだ。
結局、イザークとは捜索部隊の規模や人員を確認して見送ることしか出来なかった。


肩透かしを食らうとは、こういうことを指すのだろう。
捜索部隊に加わることも出来ず、クルーゼ隊長との面会まで、空白の時間。
やることといえば……機体の整備だけだ。

あの戦いに出なかったは機体の整備がすぐに終わってしまい……今はデュエルの調整を手伝っている。イザークの要望通りにプログラムを組み、整備班の手伝いをし、待ち時間には訓練する。他のことを考える余裕がないくらいに物事に打ち込めば、夜眠りにつくことが出来る。

朝起きてから夜眠るまで、睡眠時間を除いてずっとイザークと時間を共にしていた。慣れはしたが、違和感が拭いきれない。…………もしかしたら、まだ慣れてはいないのかもしれない。
訓練や整備の時間はまだいい。にとって今一番苦痛なのは、食事の時間だ。

すっかり食の細くなったにイザークが食事を促す。は味のしない食べ物を嚙み砕き、水で流し込むように飲み込む。
食事がこんなにも苦痛なのは初めてだ。
身体が資本。食事がどれだけ大切なものかは、もちろんも理解している。
けれど、理屈ではない。
いつになくイザークの眉間に皺が寄っている。それが、の食事中の風景だった。

アスランの引き渡しまで、あと一日。
アスランが無事なら、ディアッカもどこかで生きているかもしれないと希望を抱くのは早計だろう。
ロストした位置も離れている。戦場の状況もわかっていない。
もしかしたら、アスランは……ディアッカの消息について何か知っているかもしれない。

……希望を抱くのは恐ろしい。思い描いた通りの結果を迎えられるはずなどないのに、それでも、と夢を見て……落胆してしまうから。


***


その日も、訓練と整備をこなし、夕方にアスランの引き渡しが行われる海域へと出発した。
座席は余っているのに、イザークとは並んで腰かけている。
…………は、アスランが生きているとまだ心の底から信じてはいない。
中立を謳っているオーブからプラントに何かを仕掛けることはないだろうけれど。

船のエンジン音、揺れる視界、夕焼けに染まる赤い水平線。すっかりイザークの隣に座ることに慣れてしまった。
がそろそろ約束の海域に到着するだろうと思うのと同時に、船は速度を落とし、やがて動きを止めた。

「………………」
「………………」
無言で立ち上がり搭乗口に向かったイザークの背中をも追いかける。

イザークが開いた扉の向こうに、オーブの艦艇が見えた。小さなボートが一隻近づいてくる。…………アスランだった。腕を吊って赤い軍服を羽織っている。……生きていたのだ、本当に。
「おかえ」
「貴様ぁ! どの面下げて戻って来やがった!」
イザークの叫び声は数えきれないほど聞いているのに、どうしては毎回驚いてしまうのだろう。
接舷したボートからアスランがこちらの船に乗り込む。大きな波が来て船が揺れた。アスランの身体が傾いたのを、イザークが支える。
「ストライクは討ったさ」
アスランが、あのストライクを撃った。ニコルを殺したストライクを──。敵が取れたと喜ぶべきなのだろうか。でも、そんな気持ちは微塵も湧いて来ない。の心にあったのは…………ただの虚無感だった。少し前までのだったら、ストライクが撃たれたことに喜べたのだろうか? …………わからない。

船室へと向かったアスランを見送り、イザークと視線が合う。彼は笑っていた。それは、負の感情を含まない純粋な笑顔だった。
の視線に気が付いたイザークは直ぐに不機嫌な表情に戻り、船室へと歩みを始める。
扉を閉じてから、も二人に続いて船室へと向かう。

……もしかしたら、イザークとアスランの関係が変化するのかもしれない。
ニコルに聞いて欲しい。驚いた顔をして、すぐに笑ってくれるだろう。
「よかったですね」というニコルの声が、の頭の中だけに響いた。