箱庭の国 2
「そのIDで工場の第一エリアまでは入れる。だがその先は完全な個人情報管理システムでね、急にはどうしようもない。が、無茶はしてくれるなよ。騒ぎはごめんだ、獅子は眠らせておきたいってね」
見慣れないつなぎ姿のお互いを見ておかしい気持ちを抱きながら、たちは工作員から偽造IDカードを受け取った。
プラントのものとはまるで違う、オーブの常識や習慣。
握手や抱擁など、身体の接触は避けること。
視線が合った時や、何か頼みごとをするとき、又は感謝を示すときには頭を下げること。
そして、人と接するときは笑顔でいること。
相手に違和感を抱かせることなく、自然に振る舞わなければ。
本職の諜報員ほど上手く立ち回ることは出来ないだろうけれど、失敗して外交問題を起こす訳にはいかない。
イザークとディアッカ、ニコルとアスランとの二手に分かれて、オーブの街へと降りる。
───なんとしても、足つきの情報を掴むのだ。
***
賑やかな街中を歩く。街は平穏そのものだ。すれ違う人皆が明るい表情をしている。
かつてののように───いつも通りの日々が当たり前に続いていくと信じている人間の顔だった。
「見事に平穏ですね。街中は」
「ああ。昨日自国の領海であれだけの騒ぎがあったって言うのに」
「中立国だからですかね?」
「報道管制が敷かれている可能性もあるんじゃない?」
「確かに、そうですね」
「平和の国、か」
工作員から受け取った端末でマップを確認しながら通りを進む。
の耳に人々の会話が飛び込んでくるが───昨日の領海付近での出来事について話している人はいなかった。
学生は授業や課題のこと、社会人は仕事について、主婦であろう人たちは天気や子育てについて話している人が多い。
時々同じツナギ姿の人間───モルゲンレーテの正規社員だ───と会釈を交わしてすれ違う。
ぎこちなくなっていなかっただろうか。の胸はドキドキと弾むけれど、それを表に出すわけにはいかない。
アカデミーで簡単な潜入工作の授業を受けてはいるが、本格的なものは専用のコースが設けられていて、パイロット志望のたちは受講していない。
……そちらのコースに進んだ同期生は、専門の授業が始まったあと観察力が増して、『同期を見張るな』なんて言われていたけれど……今になってようやく、にもその言葉の意味が分かる。
観察しなければいけないのだ───生きて情報を掴むために。
授業を受けたときは、知識として記憶したから問題はないだろうと思っていたけれど……。
実際に体験してみると、問題なく行えているのか、は自信がなかった。
そろりと横目で伺ったニコルとアスランは自然体でいるように見える。
各地に潜入している人は毎日こんな生活をしているのか。……気疲れが凄まじい。
この生活をずっと続けるのはには無理だ。
角にある花屋を通過した。次の交差点を北に曲がる予定だ。
端末のマップに視線を落とす───たちはヘリオポリスの崩壊でオーブ本国に来たばかりのモルゲンレーテ社員という設定になっている───と、端末の画面に水滴が落ちてきた。
「え?」
「ん?」
「雨…………?」
パラパラと空から水滴が落ちてくる。
雨だ。
帽子のつばで視線が遮られてしまうため、首を上に向けた。
しかし。…………の目には、空は晴れているように見えたのだが。
「やだ、雨?」
「天気雨なんて」
「晴れてるからすぐ止むわよ、きっと」
晴れているのになぜ雨が降ってくるのかにはさっぱりわからないけれど、事実として雨は降っている。
通行人が示し合わせたかのように一斉に焦りだした。
何人かは店の軒先に駆け込んで雨を凌ぎ、別の人は小さな傘を取り出して開いている。
気にせずに歩いている人は少数だ。
これは……どうしたものだろうか。
アスランとニコルに声をかけて、たちも店の軒先に避難することにした。
五分ほど経った頃には雨は止み……雨を避けていた人たちが活動を再開する。
……不思議な体験だ。
空は晴れているのに、雨が降った。
降ったと思ったら、五分程で止んだ。
…………地球とは、不思議な場所だ。
「一度合流する時間だな」
「そうですね、行きましょう」
ニコルが小さく頷いて、目的地はイザーク、ディアッカとの合流ポイントに変更になった。
***
「そりゃぁ軍港に堂々とあるとは思っちゃいないけどさぁ」
ディアッカが疲れた様子を隠さずに愚痴を零す。
無事に集合出来たのはよかったけれど、どちらのグループも大した情報は得られていなかった。
周囲に人影のない、見通しのいい海辺のベンチ。
声の大きさに気を付けていれば、これくらいの愚痴は問題ないだろう。
港であろう、船の集まっている一角にはオーブの軍艦が数隻停泊しているが、当然、その中に足つきはない。
「あのクラスの船だ。そう易々と隠せるとは……」
「まさか、ほんとに居ないなんてことはないよねぇ。どうする?」
「欲しいのは確証だ。ここに居るなら居る、居ないなら居ない。……軍港にモルゲンレーテ。海側の警戒は、驚くほど厳しいんだ。なんとか、中から探るしかないだろう」
「確かに厄介な国の様だ。ここは」
アスランが小さくため息をついた。を含めて、皆気持ちは一緒だろう。
中立国が地球軍の軍艦を匿っているかもしれないなんて、どう考えてもトップシークレットだ。
もしも本当に匿っていたとしても、その情報を知っている人間は一握りのごく少数、政府に近い人間だけだろう。
そう簡単に探れるとは思っていないが、空振りに終わるとどうしてもがっくりとしてしまうのは仕方ないとは思う。
「通信で〝アスハ〟を名乗る人がいたから、臨検とまではいかなくても確認する時間はあったはずよ」
「そうはいっても、あの時の戦闘からもう五日だからな」
「確認が済んで出航している可能性も充分ある」
「…………そうね……」
「反対側の港に行くか」
「そうですね。ここにいてもこれ以上わかることはないでしょうし」
「待って、イザーク」
「なんだ」
「イザーク」
端末に視線を落としたまま返事をしたので、はもう一度イザークの名前を呼んだ。
「なんだ!」
返事はしただろうと怒気を含んだ声とともに、ようやくイザークが顔を上げた。
額、目元、鼻筋、頬、口元。
「っ!?」
化粧直しの必要はなさそうで、は小さく息を吐くのと同時に、ディアッカがはやし立てるように口笛を吹いた。
「次のチーム分けはお前ら二人か」
「化粧が崩れてないか確認しただけよ」
「残念だったな、イザーク」
「うるさい!」
あまり大きい声を出さないように注意しようかと悩んだが、雑談を制した方が怪しいだろうと判断し、は手配した車に乗り込むニコルの背中を追いかけた。
***
モルゲンレーテの施設が隣接している港にやってきたが、やはりこちらも空振りとなってしまった。
すっかり日が暮れて、辺りには赤い夕陽が降り注いでいる。
「軍港より警戒が厳しいな。チェックシステムの攪乱は?」
「何重にもなっていて、結構時間が掛かりそうだ。通れる人間を捕まえた方が早いかもしれない」
「今回はそこまでの強硬策はとれないわね……」
「まさに、羊の皮を被った狼ですね」
モルゲンレーテに入社しているスパイも居るとの話だが、接触の頻度を極限に少なくしているため、今回は協力を得られていなかった。はどうにか足つきに関する情報を掴めないかと頭をひねるが、名案は浮かばない。
「トリィ!」
海を見ながら知恵を絞るが、疲れてきたのか、の頭には強硬策しか浮かばい。
その時、小さな影が通り過ぎる。上を見ると小さな鳥が飛んでいた。は思わず小さな笑みを零す。
「ん? アスラン?」
鳥は近くをぐるりと一周したところで、アスランの手の甲に止まった。
「トリィ?」
「ん? なんだそりゃ?」
「へぇ、ロボット鳥だ」
アスランの手に止まったロボット鳥を全員が覗き込む。
幼年学校を卒業するまでに課題で必ずロボットを作る。ニコルとはお揃いの犬を作った。
アスランも、イザークもディアッカも何かしらのロボットを作っているだろう。
空を飛ぶ鳥のロボットに挑戦する人はいたけれど、完成させた人をは見たことがない。
自然な動作で空を飛ぶプログラムを組むのは大変だからだ。
「トリィー!」
「っ!」
アスランが小さく息をのんだ。いつもとどこか様子が違うように見える。
…………彼は、こんなに余裕のない表情をする人だっただろうか。
フェンスの向こう側、建物の影から同じ年頃と思われる男の人が何かを探すように出てきた。
トリィとは名前なのだろうか。アスランの手に止まっているロボット鳥を見る。
機械鳥は小さく首を傾げた。その仕草が可愛くて、の口元はまた緩んでしまう。
「ん? あぁ、あの人のかな?」
持ち主と思われる男の人のもとに、アスランが足を進める。
たちは四人でその背中を見送った。
「何か……名案が浮かんだ人はいる?」
「……………」
「……………………」
の言葉に返事が返ってくることはなかった。
「港以外の場所を当たりましょう」
「ピックアップの時間までまだあるしな」
「ギリギリまで粘るぞ」
「そうね……」
「おい! 行くぞ!」
仕方なく車に乗り込み、ひとまず移動することになった。
あまり港に長居するのも得策ではない。
イザークがアスランに声をかける。アスランはいつもよりもゆっくりと歩いて車に戻ってきた。
「……………………」
車に乗り込んだアスランは、俯いて何も言わない。
慣れない土地に潜入して、早朝からずっと動き回っているのだ。きっと疲れが出たのだろう。
「もう少し手がかりを探して回ることになったの」
「あぁ、そうだな…………」
アスランがシートに背中を預ける。
……疲れている人間の横で騒ぐのは控えくて、は口を閉ざした。
ニコルとイザーク、ディアッカが様々な意見を交わしているのを、は後ろから眺めていた。
***
結局、オーブへの潜入作戦で足つきに繋がる情報を得ることは出来なかった。
潜入した時と同じ岩場から海に出て、母艦との待ち合わせポイントまで泳ぐ。
来た時と同じように、ニコルが最後尾につき、を気にかけてくれた。
母艦から派遣された小型のボートに辿り着いたときには、の息はすっかり上がってしまっていた。
狭い潜水艦内であまり体を動かすことはできないが、筋トレを増やそうと密かに決意すると、ボートに上がっていたイザークにボートに引き上げられた。
「……ありがとう」
イザークは返事をせずにそっぽを向いた。
ニコルが最後に上がり、ボートは潜水艦を目指して出発する。
……足つきは今どこにいるのか。
オーブの島を振り返り、は小さくため息をついて空を見上げた。